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緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

子供の頃のお風呂の思い出

最近、娘と一緒にふろに入る父親について議論が巻き起こってて、いろんな意見を読んでるうちに、自分が子供の頃の風呂事情についていろいろ思い出した。この記事では特に意見とかではなく、子供の頃の思い出を気の赴くままに書いてみる。

父と一緒に風呂に入るということはあまりなかったが、私たち子供らをお風呂に入れるのは主に父の仕事だった。正確には覚えてないけど、私が小学校1~2年生の頃まで、私と弟はまとめて風呂に入れられていた。つまり父と一緒ではなく、弟と一緒に入っていた。いま客観的に考えれば、きょうだいで風呂に入ってたなんて天使のようにかわいらしい光景だと思うけど、その頃は別にそうは思わなかった。まあ、当たり前か。

で、なぜか父はシャワーを使わずに湯船にはったお湯を手桶ですくって、ざばーっざばーっと私たちにかけて洗っていた。父は自分が入るときもシャワーは使わないようなので、たぶんシャワーがあまり好きじゃないんだと思う。で、私もそれが当たり前だと思ってたんだけど、たまに父がいなくて母が私たちを洗うときはシャワーなので、「あれ??」と思った。あるとき母に、「お父さんはシャワー使わないよ。」と言ったら、母はびっくりして「ええ!?何なんかね、お父さんは。」とぷりぷり怒っていたけど、全然気づいてなかったんかい!?と正直こっちがびっくりだ。水音でだいたいわかるでしょ…。あの狭い公団の3DKで聞こえないわけでもあるまい。今考えてもつっこみどころの多い両親である。

父もたまに一緒に風呂に入ることがあった。私たちにお湯をかけてるうちに「服が濡れてしまった」と、そのまま脱いで自分も風呂に入るのである。適当すぎる。この頃の私は父の裸に対して恥ずかしいとか気持ち悪いとかいうのはなくて、それでもまぁ珍しいものではあるので、なんとなく面白くてぽけーっと見ていたように思う。父が私たちと一緒に裸で出てくると、母は驚きあきれていた気がする。よく覚えてないけど。まぁ、あきれるよな。

この頃のお風呂のもうひとつの思い出といえば、お風呂のおもちゃだ。「およげ ゆ太郎」とか。ふふふ、知ってる人は懐かしいだろう。あと覚えてるのは色がわり動物。今考えれば吸盤でタイル壁にくっつくとか、お湯に入れると色が変わるとか、愚にもつかないものなんだけど、そういうのがたくさんうちにはあった。で、そのたくさんあるおもちゃたちを毎日全部湯船に浮かべて遊んでいた。お行儀のよいおうちなら、「今日はどれにする?じゃあ、これ持っていこうか。」って選ばせたりするんじゃないかと思うんだけど、私も弟も散らかし魔で、遊んでるんだか散らかしてるんだかわからないというか、とにかく全部広げてしまわないと遊んだ気がしないという困った子供たちだったので、お風呂でもその習性は変わらなかった。一体あれで二人でどう遊んでいたのか、今ではもう思い出せない。

あるときから私一人でお風呂に入るようになって、こういうのってどういう経緯でそうなるのかさっぱり覚えていないんだけど、とにかく、一人で入るということになったとき、弟も誰もいなくておもちゃもなくてどう風呂で過ごせばいいんだろうと思った覚えがある。でもあっという間に、一人で風呂に入ることの自由さに馴染んだようにも思う。

今はもう当たり前すぎて、若干面倒にも思っている風呂だけど、子供の頃は、弟と、あるいは一人で、いろんな遊びを思いついたり、いろんなことを考えたりして過ごしてきた空間だったんじゃないだろうか。