緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

ご存知ありませんか?タイトルのわからない「水」の小説。

小学4年生の頃から学習塾に通っていたのですが、一番好きなのは国語でした。テキストやテストの問題文などで、さまざまな文章を読めるから。たいていは出典が書いてあり、気になるものはタイトルや作者名を覚えておいて図書館で借りて読んだりしてました。そうやって向田邦子のエッセイなども知りました。

さて、今回はそうやって出会った文章で、ずっと記憶に残ってるんだけど、タイトルと作者名のわからないものがあるので、もし私の内容説明を読んでぴんときた方がいれば教えていただけるとありがたいなと思ってご紹介します。たぶん、文章のレベルからいっても小学生向けではなく、中学生のときに読まされた問題文のような気がします(中学のときなら塾ではなく、業者のテストか学校の副教材の問題集だと思う)。以下、いろいろあやふやですが、思い出せる内容です。

 

「私」は真夜中に強烈な喉の渇きを覚えて、布団の中で目を覚ました。目を覚ましたもののすぐには起き上がれず、コップに入れた水を頭の中で思い浮かべているうちに、いつのまにかそれは昼間に見た水面の映像へと変わっていた。——昼間、「私」は幼い息子とともに湖のほとり(舟の上だったかな?)にいた。ふとみると、息子の体がロープの隙間から(?このへんあやふや)水面へと落ちそうになっている。「私」が動けずにいると、若い男性がひょいと息子を抱き留めた。「私」が我に返り、ひったくるように息子を受け取ると、若い男性は「いや、危ないなと思って…」と弁解するように言った。——現在の「私」は起き上がりコップで水を飲んだ。部屋には妻と息子が眠っている。まだ水面の揺れがおさまらない。

 

というような文章でした。読んでいて揺れる水面に酔うような生理的感覚を起こさせる文章で、決して読んだ当時は単純に好きとは思えませんでしたが、だからこそ妙に印象深く、きっと名文なのだろうと思います。ほぼこれだけで完結している短編なのか、長編の一部なのかわかりません。一人称の文章なので、実際あったできごとなのか、フィクションなのかもわかりませんが、いずれにしても文章の趣きからして小説といっていいと思います。

三浦しをんの書評を読んでて、丸山健二の『水の家族』という小説が出てきたので、もしかしてこれじゃね?と思って立ち読みしてみましたが、どうやら違うみたいです。確定的じゃなくても、もしかしてこの作者さんじゃない?とか、私もこれ読んだことある!とか、何か気づいたことがあれば教えていただけるとうれしいです。