緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

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「36歳」と「37歳」では数字から受ける印象がずいぶんちがう気がする。もうすぐ37歳になるんだけど。36という数字は12で割れるのが気持ちよいし、なんか字面から若い印象を受けるんですよね(理屈がよくわからないけど)。37は素数だし、なんだか気難しそうだ。36は35の仲間だけど、37はもう40に近い。

母はいままで私に対して結婚のこととかそこまで強く言わず「本人の気が進まないのに結婚してしんどい思いをするくらいなら、独身でも元気で気ままに生きてくれたらいい」というスタンスだったんですが、ここへ来て「できることなら家族を作ってほしい。そのために今できるだけの努力をしてほしい」という気持ちが強くなっているようだ。

母の気持ちは私もなんとなく理解できる。独身が特別なこととは思わない、そもそも自分は性格上生涯独身になるような気がしていたというのに、40歳が近づくと「あ、ほんとにこのまま結婚せず独身なんだ」っていうのが真に迫ってくるというか。

私が一人でもしっかり生活するタイプなら母も心配しないのだろうけど、私はあまり生活が得意でない。休日は丸一日寝てしまっている。体がしんどくて疲れているからではなく、ちゃんと目は覚めていてそれなりに動けるはずなのに、休日で何の義務もないと、まったく意欲がなくなるのだ。心のエネルギーがゼロ。ベッドの上でスマホツイッターなどを眺め、目が疲れるとそのまま寝て、おなかが減ったらのそのそ起きて買い込んでいた家の中にあるものを適当に食べる。また寝る。これを休みの間じゅうやると、体動かしてないのに疲れがとれるどころかかえって体調が悪くなるのだ。寝すぎると空腹と脱水気味でえずくこともある。セルフネグレクトに近い。わかっているのに、この習慣がどうしても治せない。

こんなだから、私は自分が人と共同生活できるとはとうてい思えないのだが、一方でこのままずっと一人ではこの生活がだんだんひどくなるのでは?という不安もある。人がいることで生活に張り合いが出るかもしれない。でも、そもそもこんな自分を家族以外にさらけだす勇気がないし、こんな自分を誰かが受け入れてくれるなんて思えない。

共同生活にはいろんな形があるのは知っている。でも、私の周りの既婚者たちは、一人でもそれなりにしっかり生活できている人どうしが一緒になっているからうまくいっているような気がするのだ。でこぼこで補い合って相性がいい人たちもいるんだろうけど、自分にとってのそれが想像できない。

書いているうちに今の自分としては、独身であることそのものよりも、これからの自分の生き方が不安なようだと気づいた。

一人でもちゃんと生きていけますように。変わっていけますように。