緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

もののけ姫 アシタカについて

 前の記事で最近語りたいことについて箇条書きしているうちに、この件に関しては筆がのってしまったので、あらためてここに。最近ずっとこの件でくすぶっていたので(自分が)。

 

岡田斗司夫さんの動画がバズっていて、カヤがアシタカの子を身ごもってるという話になっちゃってるけど、あれは全部を真に受けてはいけないと思う。

冒頭の映像で、あの物語があの村に伝わったアシタカ伝説であるということは示唆されているのかもしれない。けど、カヤが身ごもったというのはあくまでそういうふうに想像することもできるというウラの話であって、少なくとも作品中に絵としてそれを匂わせるように描かれてはいないと思う(カヤは少女、乙女として描かれているように見える)。アニメ作品であるのだから、映像でそれを伝える意図を感じないのであれば、少なくとも作中ではそれは真実ではないと私は考える(あと、呪いを受けて出ていくとあらかじめわかっているわけでもないのに、二人がすでに通じている理由がわからないよね。呪いを受けた直後にそんな行為は絶対しないし)。カヤが身ごもってると思いたい人はそれでいいと思うんだけど、なんかあれが公式の「真実」であり「正解」というように考えちゃっている人がいるみたいなことに危機感を覚える。岡田さんの話は面白いけど、そういう見方も面白いという話であって。解釈は人それぞれなんだから「へー、実はそうだったんだ!!」じゃないんですよ。

だから、アシタカとサンの描写で肉体関係があるように感じたとするなら、それはそう感じた人にとっては真実だし。

で、最後に残る問題としては、「アシタカ、カヤにもらった玉の小刀をサンにあげちゃったよね??」ということなんですが。これは紛れもなく描かれた真実なのでアシタカ好きの私としては頭を抱える。私としては、そんなに気にならないことなんだけど。もうエミシの村に戻ることはないし、いま手元にあって何らかの気持ちを伝えるものがそれしかなかったし、当時はそういう「昔(ってそれほど時間たってないけど)の女性からもらったものを今好いている女性に渡すのは非常識」みたいな観念はないのかもしれないし。

でも、このツッコミを受けそうな描写を監督はあえて描いたわけで。特にストーリー上必要はないのに描いたというところが言い訳のしようがないというか。

私はこの作品全体をとおしてのアシタカの言動からうかがえる人間性が大好きで、どんなときでも向かい合った相手を尊重する人だと思っている。カヤの気持ちをないがしろにしているとは思わない。だからこのことでアシタカを見損なうなんてことはない。

じゃあ、監督はなぜわざわざこんな気になっちゃうような描写を描いたのか?事実かどうかしらないけど石田ゆり子さんに言ったとおり「男なんてこんなもん」ってことなの?まぁ、この又貸しならぬ又贈り(?)行為は男だけがするとはかぎらず、女だってこういうことする人はいるだろうし、ここから「これだから男は」って話に繋げるのは無理筋だと思う。 

まぁ、むりやり結論めいたものを出すとすれば…

男女関係においては人はだれしも身勝手になると描きたかった

ということなのかな。「風立ちぬ」とかだとそれが顕著だよね。 

でもその描写は、監督が得意とする、ひたすら美しくかっこよく誰もがこうあってほしいと願う少年少女の姿とはものすごーく相性が悪いんですよ。パズーとシータが美しいように、アシタカとサンも美しかった。だから、アシタカのこの描写は違和感があってどうしても見る人に引っかかってしまうし、できれば描いてほしくなかった。これもただの身勝手な意見だけど。パズーとシータよりは大人に近い欲を持つ存在として描きたかったというのもあるのかなと思うけど。

あと、このことでアシタカに反感をもつ人がいるのは、作中でこのことに関して他の登場人物の誰からもつっこまれていないからというのもあると思う。カヤにもらったものをサンに渡したのは視聴者だけが知っていること。だから何か気持ち悪いし、いつまでも言いたくなる。「逆襲のシャア」のシャアとかいろいろやらかしてるけど、周囲の皆が知っていて、ちゃんと総帥のことそういう目で見ているから視聴者としても納得して(?)見ることができる。

 

文章にしたことでだいぶ自分の考えが整理できたしすっきりした。アシタカが本当に好きなので、もののけ姫を見て私が考えるところを書いておきたかった。