新古今和歌集たのしい
新古今和歌集の歌が好みかもしれない。私は現代短歌でもどちらかというと、エモーショナルなものよりも、軽みのある歌が好きである。エモいのもよいのだけど、そういうのがたくさん並んでると読むのに疲れてしまう。
新古今和歌集は適当にぱっとページを開くと美しい言葉たちが目に飛び込んできて、それだけでうっとりする。一見して字面がよくて惹かれた歌は、読んでみるとやはり調べも良く内容も好みで、作者を見たら定家だったり式子内親王だったり鴨長明だったりするので、やはり良い歌というのはかたちから優れているものなのだなぁと感心してしまった。時代を超えても歌の良し悪しが理屈でなくわかるのはなぜなのだろうと不思議に思う。
いくつか好きだったものを挙げる。
420 さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月を片敷く宇治の橋姫 定家朝臣
240 帰り来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふたちばな 式子内親王
321 ながむれば衣手涼し久方の天の河原の秋の夕暮れ 式子内親王
232 たまぼこの道行き人のことつても絶えてほどふるさみだれの空 藤原定家朝臣
268 夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声 式子内親王
347 小倉山ふもとの野辺の花すすきほのかに見ゆる秋の夕暮れ 読人しらず
242 五月闇みじかき夜はのうたた寝に花たちばなの袖に涼しき 前大僧正慈円
333 秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも 人麻呂