緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

なにもする気が起きない

大前提として動くのが好きではない。ものごころつかない頃から私はほとんどじっとしている子供だったようだ。大人になってそこらで見かける小さい子供などを見ていて、子供って普通はほっといてもめちゃめちゃ動くものなんだなと改めて認識した。だとすると私はほんとに異常なくらい動かなかった。弟はよく動くほうだったけど、それは単にうちの弟が落ち着きがないだけと子供の頃の私は思っていた。なんで特に必要もなく動くのか、私にはよく理解できなかった。

動かないから子供の頃からあまり筋肉というものがつかず太りぎみだった。体脂肪率が高いのでBMIはたいしたことなくてもスタイルとしては明らかにぼよんとしている。幼い頃がんばって親が一緒に体を動かそうとしてくれてたけど、母が弟を妊娠、出産した私が2~3歳のときなどは母もそんなに動けないし生まれてからも弟にかかりきりになるし(といってもそこまで私がかまわれなくなったわけでもないが)、幸い私はじっとしているものだからそのままになってその頃は特に太ってたかもしれない。そして他の子より動かなくて太りやすいものだから親は幼い私にあまりお菓子を食べさせないようにしていて、その制限がしばらく私をお菓子に執着させてしまったりした。

そういう、ベースとして「動かない」という性質がある。そして子供の頃から本好きで、自分が何か作ったり体動かしたりというより脳内でフィクションや空想に耽溺しやすい。特にキレイ好き、整頓好きといった特性もない。そんな性質の自分が大人になり長年一人暮らしするとどうなるか。
ほんとうに最低限の家事しかできないし、家にあるものをすべていい感じに収納するということすらしない。引っ越して時間がたっても段ボールに入ったままのものとかある。自分の普段の生活に支障がなければそれでいい。
まぁ、大事な書類とかは認識してるのでそういうのだけは自分にわかるようにしまっていたりするけど(突然の自己肯定)。でも逆にそうやってしまっている数年前の確定申告の書類とか、別にとっといてもいいけど最低限しかいらんだろうし書類出すのに集めたちょっとした書類(身分証明書のコピーの予備とか)も一緒にしまってたりするの、さすがに捨てましょうよっていうのが捨てれてなかったりする(シュレッダー買えばいいと思うよ)。

正直これまでずっと一人でこれからも一人かもしれなくて、人を招く必要もない生活を送っているとある意味ストレスはないのかもしれないけど、片付けたりきれいに保つモチベーションがわかない。休日なんか体まったく動かさなくて、お年寄りより動いてないのほんとに体によくないし、年取ってからおおごとすると思う。そう頭でわかっていてもできない。

荒療治で、定期的に人を招くとか、誰かと交際するとかそういう外的なモチベーションがないとどうにもできない気もするけど、その荒療治でどうなっちゃうんだろうと思うと怖くてその方法にも踏み出せない。どうなっちゃうって、別に失敗してみっともないことになったり、逆になんとかできてもストレスになってやめたくなったり、どっちに転んだところでいやになったらやめたらいいだけで死ぬわけじゃないんだからと思うけど、そんな小さな波すら嫌だと思ってしまう(現在のところは少なくとも人を招くのはコロナ流行下だからやめたほうがいいけど、それ以前からの話)。

荒療治がなくても、まずは一人で家で何かをできないと。と思ってもこれがほんとうにできないときは信じられないくらいできない。ベッドに寝たまま自己嫌悪に陥る。
本当にごくたまに(年に数回程度)清潔欲が出てきて掃除しだすことあって、そのときは自分に安心するけど、自然な清潔欲待ちだけではこころもとない。

それでも家に置いてあるものとあとはコンビニで買ってきた食料だけで生きていけてしまう。せめて美味しいものへのあくなき欲求くらいあればよかったのに、ふつうレベルにおいしいものであればよくて、手間がかからないほうを選んでしまう。

そうやって生きていけてるならそれでいいじゃん、できないことをくよくよ悩んでもしかたないという考え方もあるけど、何もしていない状況がすでに自分にとって楽しくはないので、やはり心のなかで自分の現状がよくないと感じるのであればよくないのだろう。

考えてもしかたなくて自分がただ動くしかないのに、どうしたらよいかと動かないまま途方にくれている。