緋綸子の雑記帳

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『黒子のバスケ』アニメ 帝光編(第65・66Q)感想

連休中、実家で録りためていたアニメや、読んでいなかった少年ジャンプをまとめて消化してきました。実に有意義だった…といってよいのだろうか?

黒子のバスケ』のアニメも第65~67Qを、やっと見ましたよ!内容としては、帝光編の後半からウインターカップ決勝ティップオフというところまで。

ひとまず今回は、アニメの帝光編の感想を、第65~66Qを中心に書きます。でも、アニメ自体への感想というより、途中から帝光編への感想という感じになってるかも。どうしても帝光編については、いろいろ思いをはせてしまって。。。

アニメでは、エピソードのところどころを省略されていて、「あれ!?」と時間が飛んだような感覚を味わいました。セリフの細かいところも「あ、ここ省略されたな」と気づいたりして、自分が原作のセリフをかなり正確に記憶しているということを再確認しました。鎌田西の双子の謎能力が華麗にスルーされたのには笑ってしまいました。「あれ?もしかして、あの設定なくてもいけたんじゃ?」と錯覚してしまうくらい。でもOPでは双子、わりとかっこよく描かれてるんですよね。OP映像は、アニメ本編で描かれなかった原作のシーンを補完してる部分もあるみたいですね。

あと、中2の全中で青峰が監督から話をされたあと、原作ではたしか黒子が青峰と少し話をするのですが、そこが省略されてたり、全中のあと黒子が赤司にお礼をいうシーンが省略されてたりして、その束の間のほっとできるシーンがなくなってるのが、少し寂しかったです。

ですが、要所要所は丁寧に描かれていて、特に、雨の降る中、河原で青峰と黒子の関係が完全に決裂してしまうシーンは、原作と同じく本当につらくてつらくて。青峰にひどいこと言われてる黒子もつらいんだけど、言ってしまう青峰自身も本当はつらいんだというのが伝わってきて、うわぁぁぁって感じでした。

一方、紫原の反抗に赤司が怒り(通称 紫原の乱)、1 on 1で赤司が負けそうになったところで、もう一人の赤司が覚醒という衝撃的展開では、BGMがまた例のオペラっぽい感じで、すごいことに。あの場面に居合せたモブ部員は本当に気の毒…。

アニメだと展開が速くて、1話に何度も衝撃的場面があって心臓いくつあってもたりないって感じですが、そのぶん、わかりやすくも感じました。キセキたちの才能が開花するというただでさえ不安定な局面で、理事長、コーチ、赤司父など大人たちのエゴが加わり、その歪みがキセキやその周りの人間に悲劇をもたらしたという過程がうまくまとまって描かれていたように思います。

すさみきったキセキたちが中3の全中決勝でやった行為が荻原と黒子にバスケをやめさせるほどの絶望をもたらした。ここはもう原作で知ってしまっているので、初めて読んだときの頭を殴られるような衝撃はなかったのですが、それでも、黒子が涙を流す場面の作画と小野賢章さんの演技は、本当に黒子の苦しさを表現しようとしていて、素晴らしかったです。

そのあと、黒子が学校に来てないという言及はなく、黒子の絶望タイムは原作ほど長く感じなかった(当たり前だけど)ので、ある意味よかったです。自分たちのせいで黒子がバスケをやめたということ、赤司や青峰たちも分かってるはずだけど、なんかもういろいろ麻痺しちゃってるんだろうなぁ。客観的にみると薄情にみえますが、当事者にはそこまでひどいことをしたという自覚はなかったり、あるいは、自覚はあってもどうしようもなかったり…現実にもこういうことってあるんだろうな、と思います。

そのわりに、みんな黒子のことを気にしていて、紫原が「黒ちんにはわかんないだろうね」と言ったり、赤司は卒業式で黒子本人の意思をわざわざ確認してたり。仲間としての意識は残ってるんですよね。

黒子のバスケ』は道徳の教科書じゃないので、誰が悪かったとか、ここでこうしていれば正しかったとか、そういう話ではなくて。本来才能の開花という素晴らしい事象のはずが、大人たちのエゴや、不運なできごと(監督の病気とか)や、本人たちの不満、不安、プライド、いろんなものがかさなって、こうなってしまった。それを丁寧に描いた帝光編は本当にすばらしいと思います。もちろん、その後の救済が説得力をもって描かれているからこそ、ですけれども。

帝光編がアニメ化されて、本当によかった。