緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

日記

夏休みをとったのだが、夫は私と同じようには取れなかったので、旅行は土日のみ。平日は母の施設へ行った。

母は自力での歩行は難しく、嚥下機能も低下しているため、部屋に一人という状況で飲食をしてはいけないと言われているのだが、自分の食べたいものや飲み物を強く欲するため、差し入れと見守りのため父が毎日施設に通っている。嚥下機能低下というのは、以前、退院前の検査でそのように評価されているので多少はあるのだろうが、いまのところ誤嚥を起こしたことはない。入院中はパックの豆乳を飲むことは認められていた。だから正直、どこまで食べ物を許容していいのか私たちもよくわからない。

最近は毎日アイスを食べているらしい。父が先に来ていたところに、私が顔を出した。母がトイレに行きたがったので車いすで連れて行くと、大きいほうで、お腹が緩いようだった。用を終えるとベッドに戻った。

書類用に母の写真を撮らなければならないのでちょっと撮らせてくれとお願いしたが、「髪もこんなで化粧もしてないのに!」「こんなおばあちゃんのしわくちゃなの撮られるの嫌!」と母は声を荒げて拒否した。前、親戚が来たときにみんなで一緒に撮った写真を使ってくれと言われ、仕方ないのでそれでやってみると返事した。

父はもう2時間ほど滞在しており、私と共に帰ることにした。バスでもよいが、とにかく暑いのでタクシーを呼ぶことにした。何となく、母はまだ用事を言い出しそうな気がして、本当にタクシー呼ぶよ?と念を押してから電話をかけて話し始めたとき、母のお腹がぎゅるるーと盛大に鳴った。

「もっかいトイレ行きたい…」

もうタクシーは呼んでしまったので、トイレは父に頼み、私は先にタクシーで帰ることにした。

俳句連作「寒がり」

「寒がり」

大寒や急ぎ渡って膝痛む

 

誰よりも着ぶくれて我駅に立つ

 

目を閉じて傾いていく暖房車

 

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俳句雑誌noiの今年の年間テーマが連作で、三句一組で投稿するという形式なので、初めて連作に挑戦してみた。これを作った頃は、とにかく寒くて毎朝の出勤が修行のように感じた。実際は外に出ている時間はそれほど長くもなく、電車でも座れるし、ある程度暖まることができるのだけど。それでも、キャミソールの上に長袖インナー、ニットにロングのダウンコートを着て、マフラーと手袋をつけ、さらに寒い日は帽子をかぶるというように最大限の防寒をして、何とか玄関を出ることができた日々だった。

みんながダウンを着ている日もあれば、なぜか周りはそうでもなくて自分だけ着ぶくれしていて、え、そんなに暖かくなったわけではないのになぜ??と思う日もあった。駅にいる人々のファッションは年代や用向きによって様々なのだけど、どこか一体感があったり、一方で意外な格好をしている人もいたりで面白い。毎日同じ路線に乗っていると、同乗者を見覚えるようになるんだけど、顔はあまりしっかり見ていないので、どちらかと言えば体格や服装、小物などで把握しているのだと思う。

この冬、ほぼ毎日同じダウンコートを着て、仕事用のナイロンバッグに特徴的な柄のトートバッグを持ち、ブックカバーをつけた文庫本を読んだり、居眠りしたりしている私は確実に同乗者に見覚えられているのだろう。

 

投稿した連作は、連作としては採用されず、二句目の着ぶくれの句だけが採用された。

あと、連作とは別に投稿した一句が掲載された。

 

忘れ物だらけの電車春近し

 

これは本当にあった光景で、仕事帰りの夜の電車で降りようとしたら、ペットボトルとか手袋とか、やたら忘れ物が目立つ日があったのだ。

日記

午前2時という深夜、眠っていたところに父から突然電話があった。母の具合が悪くなり、救急車で病院に来たところだと。その時点では詳細は分からなかったため、そのまま父に任せ、何か分かったら連絡してと伝えた。

朝6時になっておおよその診断を電話で父から知らされ、今日は私は仕事を休むべきだと思った。父は救急外来で検査結果や診断の説明を受けて入院の手続きをした後、数時間待合室にいたが誰もいなくなり、ぽつねんと待っていたそうだ。電話でその状況を聞いた私は、受付とかに声かけて聞いた方がいいよと伝えた。そしたら待ってる必要はないとのことで、父はいったん家に帰った。

8時半以降、日勤帯になれば病院から父に何か連絡が来るのではないかと思い、そのときは父から私にも連絡するようお願いしていたが、連絡は来ない。父に「病院に電話してみては?」とメールで提案するも、していないようだ。仕事を休んだ私は説明を聞きたくて、とりあえず9時過ぎに父と一緒に病院に行った。その時間なら日勤帯になって主治医も決まってるだろうと踏んでのことだ。朝、晴れてはいたがとても寒い。父は「面会は14時からって言われたよ」と言うが、面会時間はその決まりでも、緊急入院の初日の説明はまたそれとは別ではないかと私は思った。夜中の救急外来で付き添っていた父に初見の説明をしたのが全てではあるまい。その後のきちんとした説明があるはずだ。

だが、病棟へ行ってみると、主治医の説明も原則、14時以降とのことだった。まあ、これはちゃんと電話で確認すればよかったのだろうけど、なんとなく入院当日に関してはもうちょっと早めのフォローがあるだろうと勝手に当たりをつけたのがいけなかった。主治医は本当に忙しそうだった(14時以降に何件も説明が入っているらしい)。

このとき10時頃。いったんまた家に戻るとして、情報を整理しようといったん病院内の椅子に座った。父が持ってる今回の入院関連の書類を見て、私は初めて母の本当の診断を知った。父が言ってたのと微妙に違う!そして、これはルーティンではあるのだろうが、急変時の蘇生をするかどうかの書類があり、父は特に私たちに相談することもなく希望しないにチェックを入れていた。まあ、母はここ数年閉じこもり気味で、拒薬もするし、リハビリもまあ頑張ってはいるが、そこまで積極的ではなく、心身の衰えが著しい。父もチェックしている通り、蘇生は希望しないのほうが自然だろう。この書類を見て私は、今日の14時以降の説明にはうちの弟も参加した方がいいと思った(6時の時点で状況は伝えてある)。それでLINEをしたが既読にならず、弟の職場に電話をかけた。電車で2時間かけて、弟も来ることになった。

実家に寄ったあと、自分の家に戻り、適当な昼食を取ってベッドにもぐった。今日は家の中も寒い。そして14時の説明を聞くために家を出ると、なんとしっかり雨が降っている。こんな日に寒くて、しかも雨なんて。

父は先に病院に着いており、弟の到着を待ち、三人で病棟へ向かった。ベッドで母は眉根を寄せて寝入っていた。声をかけても、かすかに動いたようにも見えるが、返事はない。体を横に向け、丸まるようにして寝ている。いろいろモニター類が付いており、母はそれを気にして右手で取ろうとしたり、髪や耳を神経質そうに掻きむしったりした。普段のちょっとしんどいときの母の仕草と表情だった。

その後、主治医の話を聞いて、父の話だけでは分からなかった初診時の症状を知った。ここ数日が山場であり、その後も後遺症は残るかもしれない。病状が落ち着けばリハビリ転院となるが、その後は自宅退院か施設入所となる。正直、母は現状でも自宅での生活はぎりぎりだった。後遺症の程度にもよるが、母が施設入所になるかもしれないという状況が、とうとうやってきた。

帰りに再度母に面会する。声かけに、一瞬だけ目を開いたが、すぐ閉じた。首をふってうなずいた様子もあった。

主治医にお礼を言って病棟を去り、姉弟で「なかなか、よろしくない病状やね」「いやぁ、思ったより悪かった」と言い合った。

母は骨折したので整形外科とリハビリには通っているものの、骨粗鬆症の薬は拒否しているし、内科にも健診にも行こうとしなかったし、こういうことがいつか起こるかもと危惧はしていた。なんならまた骨折するんじゃないかと思っていたが、今回のはあまり想定していない病名だった。ひとまず祈るしかない、お互いに健康に気をつけようと励まし合った。

 

気づいたら12周年/俳句の話

 たまたま今日ブログのダッシュボードを見て気づいたんですが、このブログの開設日は2014年1月27日なので、ちょうど今日で12周年なんですよ。干支一回りしている。びびる。当時は黒子のバスケに熱を上げてたんですよね。

 12周年といっても、ここ半年くらい記事を書いてませんでした。しかもコロナにかかった話で終わっているという。コロナからは無事復活し、その後はまあ元気です。

 近況。昨年3月に『最近は俳句に興味がある。』という記事と、俳句雑誌「noi」に投句したという記事を書きました。小野ひりんずという俳号で半年間は毎月投句していたんですが、その後あまり作れなくなってやめてしまいました。なんというか、俳句面白くない期に突入していた。ですが最近、今月半ばくらいから突然俳句への興味が復活しています。きっかけは『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句鑑賞の授業』。この本は、ちょっとの時間があれば読み終えてしまえるくらい短くまとまっているんですが、助詞の効果など、自己流で読んでいるだけでは気づかない重要なポイントを教えてくれるとてもよい指南書でした。それで、俳句を鑑賞するぞ!という気持ちが湧き、実はあまり読んでいなかった「noi」を読み返してみることにしました(以前は送られてきたら自分の投句だけ確認してた…)。そこで興味を持ったのが宇多喜代子の特集。評者がそれぞれ宇多喜代子の句を挙げているのだが、好きだと思う句が多かった。

 

  冬の月はちみつ色に漂えり  『遥遥抄』

 

  父までの瓦礫を超えるりらの枝  『りらの木』

 

 それで調べているうちに、ブックウォーカーなどで電子書籍で買える宇多喜代子の句集があり、さっそく買った。第九句集の『雨の日』だ。私には第二句集あたりの観念的な句はまだとっつきにくく、それに比べるとこの『雨の日』は親しみやすかった。

 

  いつもの荷いつもの道の冬落暉  『雨の日』

 

  この世ならではの相聞雪明り  『雨の日』

 

 そして今、宇多喜代子の『俳句と歩く』というエッセイを読んでいる。題材が豊富で調べ事に手抜きがなく、とても面白い。そうやって俳句熱が高じて、とうとう今日私は初めて俳句鑑賞文を書いて「noi」に送った。これまで、好きと思える俳句があっても、好きだという気持ちの昂りが文章化しようとするとことで減ってしまうような気がして、また難しくめんどうでもあって、どうにも書けなかったのだ。だが、実際書いてみると、書くことでさらにいろいろな発見ができて面白かった。今年も俳句を楽しもうと思う。

 

 

コロナにかかった

コロナに初めてかかった。最初の症状は、のどが痛いけど、エアコンのせいかもしれないという程度のものだった。体は元気なので、初めはまったくコロナとは思ってなかった。けれど翌日、のどの痛みが強くなった。なんとなく熱っぽい気もして、体温計で測ってみたら37.0度だった。微熱としても微妙なところである。

年配の親戚に会う予定があったこともあり、念のため、近くのクリニックを受診してコロナの検査を受けたところ、陰性だった。だが、そのクリニックの医師は「のどがけっこう赤くなってますね。あとから症状強くなってコロナだったということもありますよ。気をつけてくださいね」と言った。何となくその医師の口ぶりは経験に裏打ちされた信頼性があるように思えた。しかし、これまで私はのどの痛み+微熱で何度かコロナの検査を受け、そのたび陰性であったということを経験しており、今回も同様ではないかという楽観もあった。親戚に会うかどうかは保留にして、他の予定もあったため、ひとまず夫とともに一泊の旅行に出かけた。出先では、動いていると普通に動ける、という感覚だったが、普段より歩みは遅かった。夕食を食べた後に急にしんどくなった。ホテルに帰ってすぐに着替えて寝た。体調が悪いときにそなえて家で寝るときに着る長袖長ズボンを持ってきていて良かった。はっと夜中に目が覚めて、寒気とともになんかふらふらすると思い、持参した体温計で測ると38度だった。あ、これたぶんコロナだ…と思った。処方されたカロナールを飲んだ。いっぺん目が覚めると眠れずに、寝ながらスマホを見ていた。

翌日、親戚に会うのはとりやめにして、予約していた昼食もキャンセルして自宅に戻った。とにかくのどの痛みが強い。痛みの範囲が広がっている。こんな咽頭痛は初めて経験した。食事が摂れないほどではないが、ものを飲み込むときは痛い。食欲はふだんほどではないが、まあまああるので、のどの痛みに負けてたまるかという思いで頑張って食べては飲み込んだ。熱はカロナールの効果や日内変動の関係なのか、下がっていることもあるのだが、夕方くらいになると何だかふらふらするなぁと思い、測ると上がっている。あと寝ているときは姿勢の問題なのか、咳き込んでしまい、苦しい。

そして休日明けに再度クリニックを受診したところ、やはりコロナだった。検体をキットに付けた瞬間に結果が現れたらしい。このしんどさを思うと、やっぱりね、という感じだ。仕事も休むことになった。今まで何度かコロナで休んだ人の穴埋めをしてきたが、自分が穴をあける側になるとは…と感慨深い。一瞬、元気になったと思いきやまた熱が出るので油断ならない。のどの痛む場所が移動して、上あごの方が痛くなっている。なぜそこまでのどを痛めつけるのか、何の意味があるのか、ウイルスにキレたくなってくる。