緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

近況 最近の悩み

目下、一番の悩みは母のことである。母は今年2月に脳出血を起こし、初めは寝たきりの状態だったが、リハビリの甲斐あってベッドから起き上がれるようになった。入院当初はほとんど眠っていた母が、再びしゃべるようになったときの父のうれしそうな電話の声は今も覚えている。

しかし、足の失調があり、力がうまく入らずバランスを保てないので何歩も歩けず、転倒のリスクがある。そのため移動は車椅子で、トイレにも介助が必要な状態だ。また、退院前の嚥下機能評価ではやや低下しているという結果だったため、誤嚥のリスクありと説明されている。実際にむせたり肺炎を起こしたりしたことはなく、ある程度何でも食べれるようなのだが。

さて、母は6月にリハビリ病院を退院し、施設へ入所した。私がいろいろ調べて探した老人ホームだ。併設の訪問看護師の方と話してみて、プロ意識がしっかりしていて良い施設だと思ったのだが、母とは合わなかった。こんなことになるとは予想していなかった。少しの差し入れはオッケーされてたし、面会も時間は一応決まってるが、そんなにうるさくは言ってませんという施設長の話だったから、父は毎日顔を出すとして、私たちも差し入れを持ってたまに訪ねれば、母も寂しくないだろうと思っていた。

しかし母は四六時中飲み物を飲みたがり、甘みを食べたがった。初めは母が食べれるようにサイドテーブルに食べ物を置いて帰っていたが、「一人の時には誤嚥のリスクがあるので食べてはいけません」とのことで、置いていったものは施設の職員が預かることになった。

そうすると母は好きな時に食べられないので、父に電話する。それで父は毎日母のもとへ通い、何だかんだ用事を頼まれるので、面会時間の3時間めいっぱい母の部屋にいることになった(面会に来ていい時間帯が3時間なのであって、ルール上は1回の面会時間は20分と言われている)。

父からその話を聞いたときは、施設の職員も忙しいから母の頻回のコールに対応するのは大変だろうし、父が面会に行って母の世話をしてくれるのはありがたいと思った。しかし、その毎日2~3時間もいる(その間に何度も母が食べたり飲んだりする)ということが、施設のルール上問題となったみたいだ。父から、施設の人に注意されたと電話がきて、また、施設の人からも私に「お父さんのことですが…」と電話で報告があった。そのことで私はやるせなくなってしまった。母はもともとの性格とさらに病気の影響もあってか、一度気になったことへの執着がものすごく強い。一度言い出したら要望が叶うまで言い続け、諫めたりなだめようとしたりすると声を荒げる。暴れるまではないが、相手をするのはかなりしんどい。おそらく放って帰ったら誰かを呼び続けたり、父や私に電話やメールを何度もしたりするだろう。そしてどんどん周囲への不信と不満を募らせ、精神状態が悪くなってしまう。父は、自分が毎日行って世話をするしかないと心を決めているようだった。それを施設の人は、「お父さんに何度も言ってるんですが、ご理解いただけなくて」と、父に認知機能低下があるんじゃないかというような連絡を私にしてきた。理解していないわけではなく、母のことを考えてそうせざるをえないのではないかと伝えた。父はもともと口下手で、最近は特に言葉が出てこず、そういう説明がうまくできなくなっている(それもごく軽度の認知機能低下じゃないかと言われればそうかもしれない。近くにいる家族が高齢者の認知機能低下に気づきにくいというのは、こうやって経験から心情をある程度推量してしまうからなのかもしれない)。

こういうこともあった。トイレ介助は施設の人にコールしてトイレに連れて行ってもらうが、間に合わないときは尿パッドに排泄することになる。母はなるべくトイレでしたがる(気持ちはわかる)。家に帰りたい気持ちの募っている母は、トイレのことさえ自分たちでできれば自宅に帰れると思い込むようになり、父が来ているときは父に介助してもらってトイレに行ったり、ベッドに寝た状態で自分の尿パッドを替えられるようになった。それ自体はいいのだが、使用済みのおむつや尿パッドをどこに捨てるかなど、普段は施設の人がするため、入居者家族には説明されていない。それで、父がそれを持って職員に尋ねに行ったらしいのだが、その行為がまた問題視されて、私に報告があった。

「感染のリスクとかありますから。医療従事者の方だからご存じだと思うんですけど」

と言われた。そうですねと謝ったのだが、母が何か感染症を発症していたわけでもないし、ただ使用済みおむつを持って(直に持ってたのか、ビニール袋に入れてたかはわからないが)部屋から出たくらいでそこまでのリスクあるか?と思ってしまった。捨てる場所がわからなくて聞いたという父の事情を私は理解できるのだが、おむつを持ち歩いたという行為だけを取り上げられて非常識のように言われた。施設の職員からすれば、業務上、自分たちのやり方や流れがあるし、家族に勝手にされては困るのだろう。それにしても、自分たちのやり方やものの見方を常識と思い込みすぎだろうと、だんだん私も内心不満に思うようになった。ちなみに私の弟は、施設の職員寄りで、うちの親の行動がよくないだろ、派である。いや、それは私も分かってはいるのだが。だけど、私はふだんの仕事上の医療従事者としての立場から離れて、自分が家族である以上、家族の立場でものごとを感じてよいと思うのだ。

 

面会については、入居前の説明では「一応20分ということになってますけど、もう少し長くいる方もいらっしゃいます。そこまでうるさくは言っていません」と施設の人に言われ、私も面会はそのくらいの時間で十分だと思っていたから、特に気にしていなかった。リハビリテーション病院に入院していたときは、家に近かったこともあり、父の面会時間も20分くらいだったからだ(リハビリが毎日あるので、そんなに長居できない。代わりに1日に2回面会に行くことはあったようだ)。2~3時間いるというのは私としても予想外だし、施設の人にとってもここまで長い時間いられるとなるとさすがに…となったのだろう。そもそも母一人での飲食が制限されて、家族の見守りありならOKと施設が言うから、面会時間が伸びたわけなのだが。

 

このように、母、父と施設の考えは折り合わなかった。母は「ここを出たい。家に帰りたい」と言うし(母と父の性格上、家に帰ったら母はまた薬も飲まずに何かの病気になるだろうし、共倒れになりそうなので、それだけは私はさせたくないと考えている)、施設はルール上、面会時間の制限や、母一人での飲食禁止というルールは譲れないとのことで、こうなってはもう別の施設に住み替えるしかない。入居後1か月たっていなかったが、私はそう判断した。父の意向も聞いたところ、夫婦で入居できるところがあれば父も入居すると言う。父はいまのところ自立しているので、自立と要介護の夫婦で入居できるところを探し、何とか見つけてそちらに入居することになった。

なかなかレアな経験だと思う。母の性格、父の性格を考えると、夫婦での入居もそれはそれで心配だが、今度は何とかうまくいってほしい。

ひとりでしにたい 「情緒の成長痛」

ひとりでしにたい『情緒の成長痛』は全話のなかでも特に素晴らしい白眉の回で何度も読み返してしまう。

ナスダくんと恋愛ではなく人として自然に交流しようという結論に至っても、男女である以上万が一(作中では京が一)のことがあるので「気をつけ」なければならないと考える鳴海。それを失礼だとか自意識過剰だとかいう男性もいるけど、現実として力で蹂躙され、望まない妊娠などの肉体的リスクにさらされることはある。鳴海は思う。

「やっぱどうしようもなくグロいな この身体は」

「でも女をグロく作ったのは男じゃないし  そんな動物的理由で憎み合わないように 人間には言葉があるんじゃないのか」

この鳴海のモノローグから、鳴海の元カレのケンちゃんとその妻のあかりさん(子供を望む夫と望まない妻で揉めて険悪な雰囲気になっている)の話し合いの場面につながっていく。続く回での、この二人の和解の会話も、本当の意味で自分自身と相手に向き合って言葉を尽しているのがとても良かった。

あと、ケンちゃんをあかりさんとこのように向き合わせたのは、『It's 癇癪コミュニケーション』の回の鳴海の「自分の痛みを共有させようとしている つまりあかりさんが今やってるのはアステカ式出産法!!」というセリフで(イメージイラストがえらいことになってるが)、この気づきには、ナスダくんの話も参考になっていて、この流れもとても良いのだよね。

日記

夏休みをとったのだが、夫は私と同じようには取れなかったので、旅行は土日のみ。平日は母の施設へ行った。

母は自力での歩行は難しく、嚥下機能も低下しているため、部屋に一人という状況で飲食をしてはいけないと言われているのだが、自分の食べたいものや飲み物を強く欲するため、差し入れと見守りのため父が毎日施設に通っている。嚥下機能低下というのは、以前、退院前の検査でそのように評価されているので多少はあるのだろうが、いまのところ誤嚥を起こしたことはない。入院中はパックの豆乳を飲むことは認められていた。だから正直、どこまで食べ物を許容していいのか私たちもよくわからない。

最近は毎日アイスを食べているらしい。父が先に来ていたところに、私が顔を出した。母がトイレに行きたがったので車いすで連れて行くと、大きいほうで、お腹が緩いようだった。用を終えるとベッドに戻った。

書類用に母の写真を撮らなければならないのでちょっと撮らせてくれとお願いしたが、「髪もこんなで化粧もしてないのに!」「こんなおばあちゃんのしわくちゃなの撮られるの嫌!」と母は声を荒げて拒否した。前、親戚が来たときにみんなで一緒に撮った写真を使ってくれと言われ、仕方ないのでそれでやってみると返事した。

父はもう2時間ほど滞在しており、私と共に帰ることにした。バスでもよいが、とにかく暑いのでタクシーを呼ぶことにした。何となく、母はまだ用事を言い出しそうな気がして、本当にタクシー呼ぶよ?と念を押してから電話をかけて話し始めたとき、母のお腹がぎゅるるーと盛大に鳴った。

「もっかいトイレ行きたい…」

もうタクシーは呼んでしまったので、トイレは父に頼み、私は先にタクシーで帰ることにした。

俳句連作「寒がり」

「寒がり」

大寒や急ぎ渡って膝痛む

 

誰よりも着ぶくれて我駅に立つ

 

目を閉じて傾いていく暖房車

 

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俳句雑誌noiの今年の年間テーマが連作で、三句一組で投稿するという形式なので、初めて連作に挑戦してみた。これを作った頃は、とにかく寒くて毎朝の出勤が修行のように感じた。実際は外に出ている時間はそれほど長くもなく、電車でも座れるし、ある程度暖まることができるのだけど。それでも、キャミソールの上に長袖インナー、ニットにロングのダウンコートを着て、マフラーと手袋をつけ、さらに寒い日は帽子をかぶるというように最大限の防寒をして、何とか玄関を出ることができた日々だった。

みんながダウンを着ている日もあれば、なぜか周りはそうでもなくて自分だけ着ぶくれしていて、え、そんなに暖かくなったわけではないのになぜ??と思う日もあった。駅にいる人々のファッションは年代や用向きによって様々なのだけど、どこか一体感があったり、一方で意外な格好をしている人もいたりで面白い。毎日同じ路線に乗っていると、同乗者を見覚えるようになるんだけど、顔はあまりしっかり見ていないので、どちらかと言えば体格や服装、小物などで把握しているのだと思う。

この冬、ほぼ毎日同じダウンコートを着て、仕事用のナイロンバッグに特徴的な柄のトートバッグを持ち、ブックカバーをつけた文庫本を読んだり、居眠りしたりしている私は確実に同乗者に見覚えられているのだろう。

 

投稿した連作は、連作としては採用されず、二句目の着ぶくれの句だけが採用された。

あと、連作とは別に投稿した一句が掲載された。

 

忘れ物だらけの電車春近し

 

これは本当にあった光景で、仕事帰りの夜の電車で降りようとしたら、ペットボトルとか手袋とか、やたら忘れ物が目立つ日があったのだ。

日記

午前2時という深夜、眠っていたところに父から突然電話があった。母の具合が悪くなり、救急車で病院に来たところだと。その時点では詳細は分からなかったため、そのまま父に任せ、何か分かったら連絡してと伝えた。

朝6時になっておおよその診断を電話で父から知らされ、今日は私は仕事を休むべきだと思った。父は救急外来で検査結果や診断の説明を受けて入院の手続きをした後、数時間待合室にいたが誰もいなくなり、ぽつねんと待っていたそうだ。電話でその状況を聞いた私は、受付とかに声かけて聞いた方がいいよと伝えた。そしたら待ってる必要はないとのことで、父はいったん家に帰った。

8時半以降、日勤帯になれば病院から父に何か連絡が来るのではないかと思い、そのときは父から私にも連絡するようお願いしていたが、連絡は来ない。父に「病院に電話してみては?」とメールで提案するも、していないようだ。仕事を休んだ私は説明を聞きたくて、とりあえず9時過ぎに父と一緒に病院に行った。その時間なら日勤帯になって主治医も決まってるだろうと踏んでのことだ。朝、晴れてはいたがとても寒い。父は「面会は14時からって言われたよ」と言うが、面会時間はその決まりでも、緊急入院の初日の説明はまたそれとは別ではないかと私は思った。夜中の救急外来で付き添っていた父に初見の説明をしたのが全てではあるまい。その後のきちんとした説明があるはずだ。

だが、病棟へ行ってみると、主治医の説明も原則、14時以降とのことだった。まあ、これはちゃんと電話で確認すればよかったのだろうけど、なんとなく入院当日に関してはもうちょっと早めのフォローがあるだろうと勝手に当たりをつけたのがいけなかった。主治医は本当に忙しそうだった(14時以降に何件も説明が入っているらしい)。

このとき10時頃。いったんまた家に戻るとして、情報を整理しようといったん病院内の椅子に座った。父が持ってる今回の入院関連の書類を見て、私は初めて母の本当の診断を知った。父が言ってたのと微妙に違う!そして、これはルーティンではあるのだろうが、急変時の蘇生をするかどうかの書類があり、父は特に私たちに相談することもなく希望しないにチェックを入れていた。まあ、母はここ数年閉じこもり気味で、拒薬もするし、リハビリもまあ頑張ってはいるが、そこまで積極的ではなく、心身の衰えが著しい。父もチェックしている通り、蘇生は希望しないのほうが自然だろう。この書類を見て私は、今日の14時以降の説明にはうちの弟も参加した方がいいと思った(6時の時点で状況は伝えてある)。それでLINEをしたが既読にならず、弟の職場に電話をかけた。電車で2時間かけて、弟も来ることになった。

実家に寄ったあと、自分の家に戻り、適当な昼食を取ってベッドにもぐった。今日は家の中も寒い。そして14時の説明を聞くために家を出ると、なんとしっかり雨が降っている。こんな日に寒くて、しかも雨なんて。

父は先に病院に着いており、弟の到着を待ち、三人で病棟へ向かった。ベッドで母は眉根を寄せて寝入っていた。声をかけても、かすかに動いたようにも見えるが、返事はない。体を横に向け、丸まるようにして寝ている。いろいろモニター類が付いており、母はそれを気にして右手で取ろうとしたり、髪や耳を神経質そうに掻きむしったりした。普段のちょっとしんどいときの母の仕草と表情だった。

その後、主治医の話を聞いて、父の話だけでは分からなかった初診時の症状を知った。ここ数日が山場であり、その後も後遺症は残るかもしれない。病状が落ち着けばリハビリ転院となるが、その後は自宅退院か施設入所となる。正直、母は現状でも自宅での生活はぎりぎりだった。後遺症の程度にもよるが、母が施設入所になるかもしれないという状況が、とうとうやってきた。

帰りに再度母に面会する。声かけに、一瞬だけ目を開いたが、すぐ閉じた。首をふってうなずいた様子もあった。

主治医にお礼を言って病棟を去り、姉弟で「なかなか、よろしくない病状やね」「いやぁ、思ったより悪かった」と言い合った。

母は骨折したので整形外科とリハビリには通っているものの、骨粗鬆症の薬は拒否しているし、内科にも健診にも行こうとしなかったし、こういうことがいつか起こるかもと危惧はしていた。なんならまた骨折するんじゃないかと思っていたが、今回のはあまり想定していない病名だった。ひとまず祈るしかない、お互いに健康に気をつけようと励まし合った。