緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

俳句連作「寒がり」

「寒がり」

大寒や急ぎ渡って膝痛む

 

誰よりも着ぶくれて我駅に立つ

 

目を閉じて傾いていく暖房車

 

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俳句雑誌noiの今年の年間テーマが連作で、三句一組で投稿するという形式なので、初めて連作に挑戦してみた。これを作った頃は、とにかく寒くて毎朝の出勤が修行のように感じた。実際は外に出ている時間はそれほど長くもなく、電車でも座れるし、ある程度暖まることができるのだけど。それでも、キャミソールの上に長袖インナー、ニットにロングのダウンコートを着て、マフラーと手袋をつけ、さらに寒い日は帽子をかぶるというように最大限の防寒をして、何とか玄関を出ることができた日々だった。

みんながダウンを着ている日もあれば、なぜか周りはそうでもなくて自分だけ着ぶくれしていて、え、そんなに暖かくなったわけではないのになぜ??と思う日もあった。駅にいる人々のファッションは年代や用向きによって様々なのだけど、どこか一体感があったり、一方で意外な格好をしている人もいたりで面白い。毎日同じ路線に乗っていると、同乗者を見覚えるようになるんだけど、顔はあまりしっかり見ていないので、どちらかと言えば体格や服装、小物などで把握しているのだと思う。

この冬、ほぼ毎日同じダウンコートを着て、仕事用のナイロンバッグに特徴的な柄のトートバッグを持ち、ブックカバーをつけた文庫本を読んだり、居眠りしたりしている私は確実に同乗者に見覚えられているのだろう。

 

投稿した連作は、連作としては採用されず、二句目の着ぶくれの句だけが採用された。

あと、連作とは別に投稿した一句が掲載された。

 

忘れ物だらけの電車春近し

 

これは本当にあった光景で、仕事帰りの夜の電車で降りようとしたら、ペットボトルとか手袋とか、やたら忘れ物が目立つ日があったのだ。

日記

午前2時という深夜、眠っていたところに父から突然電話があった。母の具合が悪くなり、救急車で病院に来たところだと。その時点では詳細は分からなかったため、そのまま父に任せ、何か分かったら連絡してと伝えた。

朝6時になっておおよその診断を電話で父から知らされ、今日は私は仕事を休むべきだと思った。父は救急外来で検査結果や診断の説明を受けて入院の手続きをした後、数時間待合室にいたが誰もいなくなり、ぽつねんと待っていたそうだ。電話でその状況を聞いた私は、受付とかに声かけて聞いた方がいいよと伝えた。そしたら待ってる必要はないとのことで、父はいったん家に帰った。

8時半以降、日勤帯になれば病院から父に何か連絡が来るのではないかと思い、そのときは父から私にも連絡するようお願いしていたが、連絡は来ない。父に「病院に電話してみては?」とメールで提案するも、していないようだ。仕事を休んだ私は説明を聞きたくて、とりあえず9時過ぎに父と一緒に病院に行った。その時間なら日勤帯になって主治医も決まってるだろうと踏んでのことだ。朝、晴れてはいたがとても寒い。父は「面会は14時からって言われたよ」と言うが、面会時間はその決まりでも、緊急入院の初日の説明はまたそれとは別ではないかと私は思った。夜中の救急外来で付き添っていた父に初見の説明をしたのが全てではあるまい。その後のきちんとした説明があるはずだ。

だが、病棟へ行ってみると、主治医の説明も原則、14時以降とのことだった。まあ、これはちゃんと電話で確認すればよかったのだろうけど、なんとなく入院当日に関してはもうちょっと早めのフォローがあるだろうと勝手に当たりをつけたのがいけなかった。主治医は本当に忙しそうだった(14時以降に何件も説明が入っているらしい)。

このとき10時頃。いったんまた家に戻るとして、情報を整理しようといったん病院内の椅子に座った。父が持ってる今回の入院関連の書類を見て、私は初めて母の本当の診断を知った。父が言ってたのと微妙に違う!そして、これはルーティンではあるのだろうが、急変時の蘇生をするかどうかの書類があり、父は特に私たちに相談することもなく希望しないにチェックを入れていた。まあ、母はここ数年閉じこもり気味で、拒薬もするし、リハビリもまあ頑張ってはいるが、そこまで積極的ではなく、心身の衰えが著しい。父もチェックしている通り、蘇生は希望しないのほうが自然だろう。この書類を見て私は、今日の14時以降の説明にはうちの弟も参加した方がいいと思った(6時の時点で状況は伝えてある)。それでLINEをしたが既読にならず、弟の職場に電話をかけた。電車で2時間かけて、弟も来ることになった。

実家に寄ったあと、自分の家に戻り、適当な昼食を取ってベッドにもぐった。今日は家の中も寒い。そして14時の説明を聞くために家を出ると、なんとしっかり雨が降っている。こんな日に寒くて、しかも雨なんて。

父は先に病院に着いており、弟の到着を待ち、三人で病棟へ向かった。ベッドで母は眉根を寄せて寝入っていた。声をかけても、かすかに動いたようにも見えるが、返事はない。体を横に向け、丸まるようにして寝ている。いろいろモニター類が付いており、母はそれを気にして右手で取ろうとしたり、髪や耳を神経質そうに掻きむしったりした。普段のちょっとしんどいときの母の仕草と表情だった。

その後、主治医の話を聞いて、父の話だけでは分からなかった初診時の症状を知った。ここ数日が山場であり、その後も後遺症は残るかもしれない。病状が落ち着けばリハビリ転院となるが、その後は自宅退院か施設入所となる。正直、母は現状でも自宅での生活はぎりぎりだった。後遺症の程度にもよるが、母が施設入所になるかもしれないという状況が、とうとうやってきた。

帰りに再度母に面会する。声かけに、一瞬だけ目を開いたが、すぐ閉じた。首をふってうなずいた様子もあった。

主治医にお礼を言って病棟を去り、姉弟で「なかなか、よろしくない病状やね」「いやぁ、思ったより悪かった」と言い合った。

母は骨折したので整形外科とリハビリには通っているものの、骨粗鬆症の薬は拒否しているし、内科にも健診にも行こうとしなかったし、こういうことがいつか起こるかもと危惧はしていた。なんならまた骨折するんじゃないかと思っていたが、今回のはあまり想定していない病名だった。ひとまず祈るしかない、お互いに健康に気をつけようと励まし合った。

 

気づいたら12周年/俳句の話

 たまたま今日ブログのダッシュボードを見て気づいたんですが、このブログの開設日は2014年1月27日なので、ちょうど今日で12周年なんですよ。干支一回りしている。びびる。当時は黒子のバスケに熱を上げてたんですよね。

 12周年といっても、ここ半年くらい記事を書いてませんでした。しかもコロナにかかった話で終わっているという。コロナからは無事復活し、その後はまあ元気です。

 近況。昨年3月に『最近は俳句に興味がある。』という記事と、俳句雑誌「noi」に投句したという記事を書きました。小野ひりんずという俳号で半年間は毎月投句していたんですが、その後あまり作れなくなってやめてしまいました。なんというか、俳句面白くない期に突入していた。ですが最近、今月半ばくらいから突然俳句への興味が復活しています。きっかけは『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句鑑賞の授業』。この本は、ちょっとの時間があれば読み終えてしまえるくらい短くまとまっているんですが、助詞の効果など、自己流で読んでいるだけでは気づかない重要なポイントを教えてくれるとてもよい指南書でした。それで、俳句を鑑賞するぞ!という気持ちが湧き、実はあまり読んでいなかった「noi」を読み返してみることにしました(以前は送られてきたら自分の投句だけ確認してた…)。そこで興味を持ったのが宇多喜代子の特集。評者がそれぞれ宇多喜代子の句を挙げているのだが、好きだと思う句が多かった。

 

  冬の月はちみつ色に漂えり  『遥遥抄』

 

  父までの瓦礫を超えるりらの枝  『りらの木』

 

 それで調べているうちに、ブックウォーカーなどで電子書籍で買える宇多喜代子の句集があり、さっそく買った。第九句集の『雨の日』だ。私には第二句集あたりの観念的な句はまだとっつきにくく、それに比べるとこの『雨の日』は親しみやすかった。

 

  いつもの荷いつもの道の冬落暉  『雨の日』

 

  この世ならではの相聞雪明り  『雨の日』

 

 そして今、宇多喜代子の『俳句と歩く』というエッセイを読んでいる。題材が豊富で調べ事に手抜きがなく、とても面白い。そうやって俳句熱が高じて、とうとう今日私は初めて俳句鑑賞文を書いて「noi」に送った。これまで、好きと思える俳句があっても、好きだという気持ちの昂りが文章化しようとするとことで減ってしまうような気がして、また難しくめんどうでもあって、どうにも書けなかったのだ。だが、実際書いてみると、書くことでさらにいろいろな発見ができて面白かった。今年も俳句を楽しもうと思う。

 

 

コロナにかかった

コロナに初めてかかった。最初の症状は、のどが痛いけど、エアコンのせいかもしれないという程度のものだった。体は元気なので、初めはまったくコロナとは思ってなかった。けれど翌日、のどの痛みが強くなった。なんとなく熱っぽい気もして、体温計で測ってみたら37.0度だった。微熱としても微妙なところである。

年配の親戚に会う予定があったこともあり、念のため、近くのクリニックを受診してコロナの検査を受けたところ、陰性だった。だが、そのクリニックの医師は「のどがけっこう赤くなってますね。あとから症状強くなってコロナだったということもありますよ。気をつけてくださいね」と言った。何となくその医師の口ぶりは経験に裏打ちされた信頼性があるように思えた。しかし、これまで私はのどの痛み+微熱で何度かコロナの検査を受け、そのたび陰性であったということを経験しており、今回も同様ではないかという楽観もあった。親戚に会うかどうかは保留にして、他の予定もあったため、ひとまず夫とともに一泊の旅行に出かけた。出先では、動いていると普通に動ける、という感覚だったが、普段より歩みは遅かった。夕食を食べた後に急にしんどくなった。ホテルに帰ってすぐに着替えて寝た。体調が悪いときにそなえて家で寝るときに着る長袖長ズボンを持ってきていて良かった。はっと夜中に目が覚めて、寒気とともになんかふらふらすると思い、持参した体温計で測ると38度だった。あ、これたぶんコロナだ…と思った。処方されたカロナールを飲んだ。いっぺん目が覚めると眠れずに、寝ながらスマホを見ていた。

翌日、親戚に会うのはとりやめにして、予約していた昼食もキャンセルして自宅に戻った。とにかくのどの痛みが強い。痛みの範囲が広がっている。こんな咽頭痛は初めて経験した。食事が摂れないほどではないが、ものを飲み込むときは痛い。食欲はふだんほどではないが、まあまああるので、のどの痛みに負けてたまるかという思いで頑張って食べては飲み込んだ。熱はカロナールの効果や日内変動の関係なのか、下がっていることもあるのだが、夕方くらいになると何だかふらふらするなぁと思い、測ると上がっている。あと寝ているときは姿勢の問題なのか、咳き込んでしまい、苦しい。

そして休日明けに再度クリニックを受診したところ、やはりコロナだった。検体をキットに付けた瞬間に結果が現れたらしい。このしんどさを思うと、やっぱりね、という感じだ。仕事も休むことになった。今まで何度かコロナで休んだ人の穴埋めをしてきたが、自分が穴をあける側になるとは…と感慨深い。一瞬、元気になったと思いきやまた熱が出るので油断ならない。のどの痛む場所が移動して、上あごの方が痛くなっている。なぜそこまでのどを痛めつけるのか、何の意味があるのか、ウイルスにキレたくなってくる。

「短編小説の集い2025」 母と薬と私

「短編小説の集い2025」参加要項! - あのにますトライバル

 

【HN】緋綸子(ひりんず)

 

【執筆歴】二次創作を入れたら10年くらい?オリジナルは、習作以外で発表するのは初めてです。

 

【ひとこと自由欄】今回のお話は、ほぼ実録というのが正しくて、創作らしい創作ができなかったのが心残りです。

 

【作品名/字数】母と薬と私(4737字)

 

【本文】

 真智子は内科医として働き始めて長いので、薬を飲み忘れる人は当たり前にいると思っているし、必要な薬をどうしても飲みたくないと拒否する患者もいることを知っている。だが、自分の母がそうだとはまあ、少し予想はしていた。

  真智子が子供の頃、熱を出した時などに処方された粉薬には、平気で飲める味もあれば、嫌いなものもあった。人工的な甘ったるさで妙な後味が残る薬があり、それは特に苦手だった。それから、忘れられないのは市販の黒い丸薬。真智子の母はそれが虫歯に効くと信じて幼い娘の奥歯に詰めたのだった。その日は一晩中、口の中が苦いわ臭いわで口を半開きにし、おまけに歯の痛みはそのままで眠れなかった。

 それに比べたら、錠剤を飲むのは楽勝だと思うのだけど。いま思えば、子供時代は子供というだけで苦行を課されていた。

 

 昼前、勤務先のクリニックで、真智子の白衣のポケットに入れていた私用のスマートフォンが振動した。何度か振動するも出ることができず、ようやく患者の診療が途切れてスマートフォンの画面を見ると、父からメールが来ていた。

「お母さんが骨折した。いま病院に来てる」

 ついに恐れていたことが起きたと思った。母親はここ一年ほど気力と体力が衰えて、ほとんど外出しなくなっていた。検査のために病院に行こうと勧めてもかたくなに断るため、対処ができずにいた。病院に行くとしたら、突然倒れるとかそういう大事に至ってしまったときだ。諦めとともにそう覚悟していたのだ。父に電話をかけると、母は今朝ベッドから立ち上がるときに寝ぼけていて転び、右腕の骨を折ったとのことだった。今日は応急処置をされ帰宅し、1週間後に入院、そして手術ということだった。それを聞いた真智子は、やれ大変だと思った。痛む利き腕をギプスで固定された70代の母に、その2歳年上の父。1週間、二人で生活しなければならない。大丈夫だろうか。真智子は近所に住んでいるので、仕事帰りにとりあえず顔を出すことにした。

「お母さん、大丈夫?」

 迎えに出てくれた困り顔の父と少し話した後、寝室に直行すると、母は疲れた顔で寝椅子に座っていた。右の前腕には太くギプスが巻かれ、その端から覗いている指先は赤紫の痣でまだらに染まっており、痛々しい。

「うん、まあ痛いよ」

 疲れてはいるが、それなりにハリのある声で答えた。気丈な人なのだ。部屋着を着たまま、ギプスが巻かれている。考えてみれば応急処置なので、そのままギブスを巻くのも致し方ないのだろうが、これでは着替えも困難だ。母はボタンのない長袖シャツを着ていた。

「これ、着替えどうするの?」

「どうもこうもできんよ。動かしたり濡らしたりしたら絶対ダメって言われたから」

「そうは言っても、一週間着替えん訳にもいかんでしょ」

「それはもう我慢するしかないよ。もう、なるようになるよ」

「入院の時は、前開きの病衣とかあるんだけどね」

「ああ、入院の時の服はあるとありがたいね」

「うん。でも、入院までどうするの?何か着れそうな服とかないの?何か買ってこようか?」

「入院するとき外に出るからちょっと羽織るものが欲しいね。こんな感じの。これはあそこで買ったんだけど」

 畳んである、よそゆきのカーディガンを触りながら、デパートのブティックの名を母は挙げた。

「いや、それはそんなに必要ないでしょ。いま着替えるものの話だよ」

 話していても埒が明かないので、何か適当に見てくるよと言って、実家を後にした。

 さっそく、翌日の仕事帰りに母が入院する予定の病院の院内コンビニで病衣を買い、そのあと、駅前の大型商業施設の衣料品売り場にも足を運んだ。袖のゆったりしたスモックのようなスナップボタン付きの前開きトップスがあったので、それを買ってみた。これならギプスがとれてからも、普段着に使えそうだ。

 実家に寄ると、父が待ちかまえたように出迎えてくれた。昨日の衣服のままの母に、買ってきた服を見せると、スモックを一目見た彼女は言い放った。

「なんか、色が地味やね。作業着みたい」

「無印のだから、デザインはそんなもんだよ。いいから着てみて」

 真智子は母の腕に袖を通そうとするも、ギプスは予想以上に太く、入りそうになかった。

「なんかこれ、作業着みたいよ。お父さんに着せたらいいよ」

 母はふざけたように笑いながら言う。人が買ってきたもの、貰い物などが気にいらないとき、父に押しつけるようなことを言うのは昔から母の口癖だ。本人は冗談のつもりかもしれないが、周りを怒らせる以外の効果はない。真智子はみるみるみじめになり、怒りが込み上げた。

「ギプスのサイズを把握してなかったのは私のミスだけど!仕事のあとにわざわざ買って持ってきたのに、そんな言い方あるね!?」

 興奮のままに声はどんどん大きくなり、怒鳴ってしまった。母は唖然として、やや芝居がかった呆れ顔で椅子に座り直した。

「別に、頼んでないんだけど。何でそんなに怒るの?」

 その妙に落ち着き払った態度は、真智子の怒りには火に油だった。

「何で怒ってるか、わからんの!?」

 思わず叫んだが、父が何とか場を収めようと苦笑しながら宥めてきたので、真智子は深呼吸して自分を抑えた。

「袖が入らないのは私が確認しなかったのが悪かったよ。骨折治ったら着てみたら」

「いや、色がどうもねぇ

 まだ言うか。そう心の中でツッコミつつ、その後は普通に会話した。父に気の毒だし、30分程度顔を合わせて帰るのに、怒ったままではあまりに後味が悪すぎる。結局、母は他の病衣に着替えることもしなかった。

 実家から自宅へ歩きながら、感情の余波を味わった。普段、多少は取り繕えているが、本来、私そこまで忍耐力なかったわ、と真智子は思った。ふと、涙がこぼれた。妙にハリきって感謝されたかった自分を母に見透かされているような気がした。

 母の入院の日、真智子は仕事を休んで病院まで付き添った。驚いたことに、母は前回会った時の服から別の服に着替えていた。真智子の買ってきた服ではないけれど。

「え。結局、着替えたん?どうやったの?」

 「うん…」

 父はもともと口下手な人だが、年をとって単語が出づらくなり、父だけが把握している事態について、真智子が後から知ることは困難だった。しばらくして父が口を開いた。

「体が汗で気持ち悪かったらしい」

「そりゃ、そうだろうね。まあ着替えられたならよかった」

 病院まで短い距離だが、骨折した母と荷物を乗せるためタクシーに乗った。ラジオから誰かのトークが流れている。曲が紹介され、音楽が流れ始めた。不思議な音色の管楽器だった。

「あ!口笛!」

 母が後部座席で弾んだ声をあげた。言われてみれば、そのようだった。スマートフォンで調べると、この番組の今回のゲストは、口笛奏者だった。

「ほんとだ、口笛やね」

 返事しながら、母はこういう無邪気なところがあるんだよな、と思った。

 

 手術は無事終わり、退院前の主治医の説明を聞くため、真智子は仕事を早退した。父だけではどうも当てにならないからだ。母は同席せず、父と真智子だけで主治医の話を聞いた。母は骨粗鬆症であり、これからは薬の治療が必要になるとのことだった。

「母は薬とか嫌がって、病院にもなかなか行かなかったんです。先生からも薬の必要性をお話ししていただければ」

 真智子は頭を下げた。

 しかし、予想通り、母はその薬を飲まなかった。電話でそのことを父から聞いた真智子は、例によって仕事帰りに実家に寄った。真智子がエレベーターを降りると、父が玄関の外まで出てきて、首を横に振った。

「薬ね、お母さんがどっかにやってしまって、無いんよ。それで飲んでるって言いはるんよ」

 父よ、さすがにしっかりしてくれ、薬くらい管理してくれ、と内心で真智子はぼやいた。とはいえ、父も真智子も昔から、母がこうと決めて押し通すことを止めたり変えさせたりすることはほとんどできたためしがない。真智子も家の中を探してみたが、ひどく散らかってるわけではないのに雑然としており、処方された薬を見つけることはできなかった。

「飲んだから。大丈夫だから」

 寝椅子の母はきっぱり繰り返す。

「副作用の注意書きで怖くなったんかもしれん」

 父が小声で真智子に言った。骨粗鬆症で一番使われている薬(ビスホスホネート薬という)は、用法が少々面倒くさく、副作用の注意書きも多いことは真智子もよく知っている。

「そんならもう、しかたないね」

 真智子は母のそばにしゃがみ、話しかけた。

「お母さん、今回ちょっと転んだだけで骨折れたの、骨がそうとう脆くなってるんよ。骨を丈夫にしないと、また骨折するよ。たぶん、あんまり外出てないから、ビタミンDとか足りてないやろ。今度ビタミンDの薬、先生に出してもらったら?」

 責めるようなことは言わず、自分の患者に対するように説明と説得を試みた。

「ああ、ビタミンDね。たしかに日光浴びてないもんね」

 母が納得したようにつぶやいたのを見てとり、真智子はそれ以上しつこくは言わず、帰り支度をした。ビスホスホネート薬ほど骨折リスクを下げる効果はないが、ビタミンD製剤を飲むだけでもいくぶんましだろう。母の様子やこの度の経緯を真智子は簡単に紙に書き、父に、主治医に渡すよう頼んだ。

 次の診察で、真智子の考えどおり、主治医はビタミンDの薬を出してくれたようだ。電話で父から母がちゃんと内服していると聞き、ひとまず安心した。しかし、それも長くは続かなかった。ある日の電話で、母が便秘になったと言って、その薬を飲むのをやめたと父から報告があった。

 やっぱりか…。こうなる予感はあったので驚きはしなかったが、憂鬱ではあった。とりあえず、次の受診で主治医に事情をしっかり説明し、相談するよう父に頼んだ。真智子が主治医だったらどうするか。まずビタミンDの薬と便秘の関連を検討し、関連がなさそうであれば、ビタミンDは続けてもらって、便秘薬を処方するか。しかし、その便秘薬も母は嫌がりそうだ。あれこれ考えながら、診察日を待った。その日は仕事を休めず、自分が付き添えないのがもどかしかった。

 診察の翌日、父に電話したところ、主治医は処方を出さなかったということだった。主治医がどういった反応だったのか、父に聞いてみても「うーん」と生返事をするのみであった。

 母が薬を拒む理由は、真智子にはなんとなく想像できた。母自身が思う“健康的な生活”を送っているかぎりは健康でいられるはずという感覚が母にはあるのだ。その信念が、処方された薬を飲むことと相容れないのだろう。

 真智子はまた次の対応を考えた。市販のビタミンDのサプリメントも、同等の効果と言えるかはわからないが代用にはなる。これを何とか飲んでもらおう。サプリはドラッグストアですぐに買えた。

 しかし、すぐ母に届けねばと思っていたのに、どういうわけか真智子は実家に行くことができなかった。折よく、健康番組で骨粗鬆症の特集があったので録画したり、SNSで人を説得したいときの話し方についての研究者の動画が回ってきたのでメモしたり、常にそのことを考えているのだが、実家に行くということができない。

 定期的に父とは電話で連絡を取った。母はリハビリを頑張っているらしい。真智子は母の夢を見るようになった。

 病衣の母が目を閉じたまま、うわごとのように言う。

「何ね、お母さん、おいてかれるんね」

「おいてかないよ!お母さんのこと、おいてかないよ」

 必死で叫んでいたところで目が覚めた。先ほどまでの自分の声が頭の中でこだましている。時計は午前2時を過ぎていた。常夜灯だけのほのかな暗がりのダイニングに、ビタミンDのサプリの瓶が変わらず置かれていた。

 サプリのことはおいても、母に早く会いに行こうと真智子は思った。

 

ーENDー