緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

『鬼の研究』(馬場あき子)を読んでいる

今週のお題「最近読んでるもの」


 馬場あき子さんの『鬼の研究』という本を読んでいる。今の私たちが思い浮かべる"鬼"のイメージはどのように形成されてきたのか。昔の文献の"鬼"の登場するエピソードが興味深く、どこかいとおしくて心惹かれる。
 仕事の行き帰りの電車などで数ページずつゆっくりペースで読んでおり、今やっと半分を過ぎたところ。鬼にまつわるエピソードと、そこから導き出される著者の考察が書かれていて、ずっと面白い。昔の説話は、なぜこんなに読んでいるだけで面白いのだろう。

 これを買ったきっかけは、本屋でタイトルと著者を見て、あの歌人の馬場あき子さんがこの本を!?と驚いたことと、そのとき鬼滅の刃の能に当選していたので、その予習にもなると思ったから。ぱらぱら見ると、この本には鬼やそれに類する存在の登場する謡曲の話も出てきており、鬼と能には深い関係があるようで、それを知りたいと思ったのだ。

 序章で、鬼の系譜の分類を著者は以下のように述べている。
(1) 日本民俗学上の鬼(祝福にくる祖霊や地霊)。最古の原像。
(2) (1)の系譜に連なる山人系の人びとが道教や仏教を取り入れて修験道を創成したとき、組織的にも巨大な発達をとげてゆく山伏系の鬼。天狗など。
(3) 仏教系の邪鬼、夜叉、羅刹、地獄卒、牛頭、馬頭鬼。
(4) 人鬼系。放逐者、賤民、盗賊など、それぞれの人生体験の後にみずから鬼となった者。
(5) 変身譚系。怨恨・憤怒・雪辱などの情念をエネルギーとして復讐をとげるために鬼となることをえらんだもの。

 これらの系譜を古代から文献をもとにたどり、鬼の描かれ方をとおしてその時代の人びとを見つめている。中央集権体制の確立のため、衰亡していった先住土着民(土蜘蛛と呼ばれた)。藤原一門のごく一部の繁栄のため抑圧されて社会から放逐されたものたち。
 著者が次々と挙げる歴史書や説話集のエピソードを読むと、鬼や怪異のそれぞれの出自も興味深いし、彼ら、彼女らが起こす人智を超えた行動や残虐な凶行もどこか魅力的だ。これらの物語を生み出し、享受した当時の人びとの感情にも、恐れや不安のみならず、鬼の側への共感も混じっていたのではないかと著者は述べている。


 終章「鬼は滅びたか」(まだ全文読み終わってないけど、先に読んだ)を読むと、著者は幼い頃には鬼や妖怪を異常なほど恐れていたが、古典に親しむほどの年齢に達して恐怖が関心へと逆転し、ついに鬼に愛着をもつようになったそうだ。そのきっかけは、『伊勢物語』の「業平の女を喰った鬼の話」の末尾の一文だった。

「それをかく鬼とはいふなりけり」と記された一文に出遭った時、もはや二十歳をはるかにすぎていたはずの私は、はじめてほっと吐息をついたものである。「それをかく鬼とはいふなりけり」という含みのある文体の中に、鬼とはやはり人なのであり、さまざまの理由から<鬼>と仮によばれたにすぎない秘密が隠されているのを感じたからである。その秘密を知ることが、その後の私と鬼との交渉をきわめて親しいものにし、ついには自分もまた鬼であるかもしれないと思うようになっていった。

 「鬼は人」という考えは、『鬼滅の刃』にも通じるもので、終章のタイトルとあいまって、鬼滅ファンとしては何だかぐっときてしまう。『鬼滅の刃』も人が鬼となるまでの過程を丁寧に描く物語だった。
 『鬼滅の刃』を読むまで、鬼は昔話に出てくるようなどこか現実感のない、子供向けのキャラクターのようなイメージであった。その"鬼"を、あれほど実感を伴って恐ろしく、憎く、哀しい存在に描き上げることができたのは、この『鬼の研究』に書かれているような思想を『鬼滅の刃』も奥底にもっていたからではないかと思った。吾峠先生がこの本を読まれたかどうかはわからないけれど。


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明恵上人のゆかりの地、和歌山の湯浅町に行ってきた

 

旅行にいくまで

 

 2016年、九州国立博物館鳥獣戯画が展示される『高山寺明恵上人』という特別展を見に行ったことがある。目当ては鳥獣戯画だったのだが、高山寺明恵上人に関する展示がすごく充実していて面白かった。夢日記をつけていたり、お釈迦様を慕ってインドに行きたすぎて旅程表を作成していたり(結局、インドには行けないのだが)。それで明恵上人にすっかりハマってしまい、白洲正子の『明恵上人』というエッセイも読んで、ますます好きになった。何よりこの本を読むと、明恵上人の生まれ故郷で生涯の多くの時を過ごした土地でもある紀州に行きたくなった。そんな気持ちを長年抱えていて、とうとう、この夏、和歌山県は有田郡、湯浅町に行ってきた。

 

 まず下調べをしたのだが、全国的な観光地でもないのであまり情報がなかった。白洲正子の『明恵上人』を参考にしながらグーグルマップやわずかにあるネット上、SNS上の個人の記録からどうやって行けばよいかを調べる。

 それは施無畏寺というお寺でした。湯浅の町はずれから、岬を一つ廻ったところの、栖原という漁村の山の中腹にあるのですが、(中略)小型の車がようやく通える程度の山道で、

 

 この施無畏寺というところには、地図を見て何とか和歌山駅から車で行けそうだとあたりをつけた。今回の旅行では同行者がいて、その人がレンタカーを運転してくれることになった。

 しかし問題は施無畏寺からさらに上った白上山の頂にある白上遺跡である。明恵上人が庵を結んで修業したところで、現在は卒塔婆があるのみらしい。白洲正子の『明恵上人』を読んでいても、ネットで登山者の写真などを見ても、車で行けるかわからない。歩いて上るとして、登山し慣れていない私たちが安全に登れるかわからない。高さや距離はそれほどないのだが、山道の状態にもよるだろう。私は同行者に「施無畏寺までは行けると思うけど、そこから先はわからない。無理は決してしないでおこう」と話した。同行者はそれほどピンときていないようだった。今回の和歌山行きは私の希望で、同行者は特に明恵上人に関心があるわけではない。それで元来こういうことを得意でない私がメインで調べていたのだけど、どうも嫌な予感がしていた。この予感はのちのち的中することになる。一応ヤマレコという登山者用のアプリをダウンロードするなど準備した。

 

 

施無畏寺

 新大阪まで新幹線に乗り、そこから特急"くろしお"で和歌山駅へ行った。和歌山駅からレンタカーで途中高速に乗って有田へ。施無畏寺へ向かう少し手前で橋を渡り海辺の街となる。ここまでは順調だったが、そこから海岸沿いに出ると、道が狭いうえに海の側にガードレールも何もなく、一歩間違えたら海に落ちそうな道路であった。そして施無畏寺へ行くには、そこから急峻な脇道を登らなければならない。その脇道を見て私は「む、無理しないで。引き返してもいいよ」と言った。が、同行者は「大丈夫だよ。とりあえず行ってみよう」と言う。同行者は普段から安全で落ち着いた運転をする人で、スピードを出したりするタイプではないが、どんな道にもある程度対応できるという自信はある人だ。そのまま施無畏寺へと上り、駐車場と名は付いているが、要は道路の脇の坂道(駐車場自体が強い傾斜となっている)に車を停めた。

 

 施無畏寺からの眺めは、白洲正子のエッセイにもあるとおりの絶景であった。深い青の海があり、それぞれユニークな形をした島がいくつもその姿をのぞかせている。

 

施無畏寺からの眺め

施無畏寺からの眺め

 

施無畏寺

 

 明恵上人も、そして白洲正子も見たであろう、この施無畏寺からの海と島の風景を見られたことに私は感極まった。この風景を見られたのであれば、はるばるこの地へ来た甲斐があったと思った。

 

 

白上遺跡へ…?(車は危険!)

 

 同行者も施無畏寺からの眺めに一緒に感歎していた。そして、駐車場の車に戻った。これからどうするか話し合う。施無畏寺からの道から考えて、この先はさらに車での通行は難しいことが予想された。「もうこれで引き返してもいいよ」と私は言ったが、同行者は「せっかくだから行ってみようよ」と言う。「なら、歩いて行ってみる?」と私は提案した。目的地の山頂までは2㎞くらい、歩いて30分くらいとある。といっても、かなり急な山道だ。この猛暑もあり、かなりきついかもしれない。同行者は「いや山道を2kmって結構あるよ。車で行けるところまで行ってみよう。だめなら引き返せばいいから」と言うのでそのまま車で進んだ。

 そうして車で施無畏寺から先に進むと、ほどなく分かれ道があり、左を行けば遺跡の案内表示があったが、その道は舗装もされていない完全な山道だった。そのため、とりあえず車は右の舗装された道を進んだ。ずっと道幅は狭いままで、進むしかないのだ。そしてしばらく行ったところで、これまでで最も恐ろしい場所にさしかかった。車一台分の道幅で、片側はガードレールもなくそこから先は崖。運転席から外に出て数歩歩けば滑落する。ここで車を停めた。先に道は続いており、同行者が下りて先を確認したが、これ以上進んだところで状況が好転するとはかぎらず、引き返すことになった。

 引き返す…?この片側は崖の狭い道を、どうやって…?私は命の危険を感じた。一歩間違えば、車ごと落ちて死んでしまうかもしれない。私は言った。

「自分でどうにかしようとしないで。本当に危ないから。ここで車を降りて助けを呼ぼう」

「助けを呼ぶって…。JAFを呼ぶの?でも呼んでも時間かかるし、呼んでもやることは同じだと思うよ」

 助けを呼ぶのに、そんな実際的な考えは必要ないと私は思う。今この場で自分でどうにかしようとして、誤って落ちて死んでしまうことが避けられれば。助けを呼べば、相手だってそれなりの準備で来てくれるはずだ。地元の人で、あの山道だと認識できれば、同行者よりは慣れているかもしれない。しかし、同行者は自分でなんとかすると言った。

 私は本当の本当は、同行者が自分で運転してどうにかすると言うのなら、私だけでも車から下ろしてほしかった。そう申し出てくれないかとすら思った。だが、たぶん同行者はそれを思いつかなかったのだろう。さすがに自分だけ降りると主張する勇気は私にはなかった。何度も止めたとはいえ、施無畏寺と白上遺跡に来たがったのは私だ。私はこれ以上は騒がず、祈りながら車に乗っているしかなかった。

 同行者は車を降りて元来た道を歩いて引き返し、なんとか車を切り返せる場所を見つけた。その場所までは慎重に慎重にバックする。そして、細かく切り返して、なんとか元来た道を引き返すことができた。二人ともしばらく緊張が解けず、施無畏寺を素通りしてそのまま山をくだり、町まで来てやっと一息をついた。

 私は自分の運転技術がつたないため、車で行けないところは当然あると思っている。しかし、同行者はなまじ運転が得意で場数も踏んでいるので、道路があるなら行けるのではと思ってしまうようだ。霧島の奥の急な山道もなんとか運転できていたから、同様に何とか行けると思ったのだろう。しかし、霧島は観光地だし、ドライブウェイである(いやそれにしてはかなり狭い急峻な道もあるが)。一方この施無畏寺周辺はなんというか、この土地以外の人の車が通ることを想定していないし、安全性などもあまり考えられていない。道はあっても命の保証はない、そういう道もあるのだ。

 コミュニケーションの難しさも痛感した。白洲正子のエッセイや、ネットで調べた雰囲気から感じた「どうも車は危ないのでは?」という予感を私はうまく伝えられなかった。同行者、というかお付き合いしている人なのだが、彼はどうも私の発言を"遠慮"ととらえがちであり、それで逆に頑張ろうとしてしまうようだ。そもそも私の言い方もまぎらわしいのだ。「行かなくていい」「引き返してもいい」と言っていたから。そうではなく、「命の危険があるかもしれないから、そこまでして行きたくない」ともっとはっきり伝えるべきだった。

 

醤油発祥の地 湯浅

 

 湯浅の町に下りてきた私たちは、施無畏寺に来る途中の古い建物と醤油発祥の地という看板が気になっていたので、そこを観光することにした。

 

湯浅醤油の角長(お土産店)

 

 この周辺は醤油資料館(実際に使用されていた道具や機械の展示がかなり充実している)や醤油のお土産屋、それ以外にも休憩する甘味処などあり、建物も古く歩いて回って楽しかった。白上山での緊張がやっとほぐれた気がした。

 

春日竜神お能

 湯浅の町で偶然、このポスターを見つけた。

 

 

 白洲正子のエッセイの冒頭にも載っていた春日龍神お能。なんと生誕八百五十周年とのことで施無畏寺で行われるらしい。こんな体験滅多にできないだろう。応募の期限にもこの時点ではぎりぎり間に合っていた。何という巡り合わせ。さっそく甘見処でスマホで応募した。今日ここへ来てよかったと思った。

 

 いろいろあったが、この街へ来ることができてよかったと思う。施無畏寺からの眺めの写真は宝物だ。これをよすが明恵上人を思おうと、iPhoneの壁紙にした。お能を見に行くのが楽しみである。

 

 

 

 

日記 友人と本のはなし

 お盆休みで帰省していた中学・高校時代の友人と会った。私の格好は、黒地に花柄のロングスカートに、某地元テーマパークのTシャツにサンダル。まず駅ビルの本屋併設のカフェでお昼を食べ、互いにプライベートや仕事の近況を報告した。あとは本の話。

 本の話をするうちに、本屋を見て回りながら話そうということになった。初めはそのカフェの隣の本屋を見て回ったが、あれがない、これがないと言って、近隣の地元で一番大きい本屋に足を伸ばした。児童書コーナーを見ながら、これを読んだことあるなどと互いに報告し合う。ほとんどかぶっているものはない。なぜか私はズッコケシリーズなどの定番の児童書を読んだことがない。絵本もあまり記憶がない。『赤毛のアン』や『小公女』を愛読していた。岩波少年文庫の前でも立ち止まって話した。こんなところで人と会話するなど初めてだ。『はてしない物語』、友人は読んだそうだが、私は読んでいない。『はてしない物語』は、本自体の話でもあるので、文庫でなくハードカバーで読むのが適していると彼女は主張していた。岩波少年文庫、彼女は普通の文庫サイズだったらいいのにと言っていたが、私はこのサイズと装丁が特別感があって好きである(通常の文庫ばかり集めていると、本棚のサイズに合わなかったりするのはわかる)。

 友人は現代作家やラノベなどもけっこう読んでいて、東野圭吾の作品の話もした。私は全然読んだことがなく、それでも彼女はストーリーを説明してくれる。NHKでドラマ化されたものを見て、ここ、おかしいのでは?と疑問に思った箇所の原作を読んでみると、いくつかの短編を混ぜて、本来別作品の人物を一人のキャラクターにしたりしてドラマにしているので辻褄が合わなかったのだとわかった、という話など。その話はとても興味深かったのだけど、私はそれをさらに盛り上げるような返答はできなくて、「へぇ」と聞いていた。それでも彼女も話せて満足そうだった。こういうふうに本の話をできるのは楽しい。

 二人にとって懐かしい、コバルト文庫の話もした。中学高校の頃、彼女からコバルトの雑誌を借りたものだった。あれだけ一世を風靡したものが、本屋でほとんど見かけなくなるなんてねぇと感慨にふけった。今はもう紙媒体での新刊は出ていないらしい。若木未生先生の話になると、彼女はいまだにフレッシュに文句を言うので高校時代に戻ったみたいで楽しい。ハイスクールオーラバスターを私に貸してくれたのは彼女なのだが。結局オーラバは完結したのか?互いにあやふやであった。

 『ジョゼと虎と魚たち』の話になった。友人は映画→小説の順で、私は小説だけ読んでいる。友人は映画が非常によかったと言っていて、「映画がよかったから、小説はそれに比べるとあっさりに感じた。それもそれでよかったけど、映画を観ずにあの短編集を読んだら、そのなかでは印象の薄い作品だったと思う」と言った。私も短編集で読んだのだが、初めて読んだときはかなりインパクトがあったし、好きで何度も読んだ。それを言うと友人は驚き、どこがそんなに好きだったか聞かれたので、「なんか、エロティックで」と答えた。それはかなり感受性が強いのではないかと友人は言っていた。

 梨木香歩作品や湯本香樹実作品、『鎌倉殿の十三人』や実朝の話にもなった。私は和歌に関心があり、友人は謡に関心があることを知った。梨木香歩の小説のなかで、友人は『沼地のある森を抜けて』が一番好きと言い、今度は私が驚いた。私にとっては戸惑いを感じた作品だったからだ。梨木香歩作品としては珍しく、性的な領域に踏み込んでおり、その描写はあまり私には合わなかったのだ。友人は読み返すと理解が深まったと言っていたので、読み返してみるとまた印象が違うのかもしれない。そして友人は梨木香歩といえば『西の魔女が死んだ』が取り上げられる風潮があまり好きではないと言い、それよりも似通ったテーマなら湯本香樹実の『ポプラの秋』がよい、と言う。『ポプラの秋』は私がとても好きな作品、いわば心の本で、たしか高校生の頃にすでに読んでいたはずだ。私たち、『ポプラの秋』の話したことあったっけ?と聞くと、友人は首をかしげていた。その頃は語り合ったことはなかったのかもしれないし、どこかで軽く話題にのぼったような気もする。

 買うつもりの本を持ったまま、本屋でうろうろしたり立ち止まったりしながらずっとそんな話をしていた。ずっと立ち話もなんなので(と言い出すまでにそうとう時間がたっていたが)、本を買ってしまい、お茶をしようということになった。

 友人は吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を買うかどうか迷った末、たしか結局買っていた。私は友人の勧めてくれた青山美智子という作家の本を買った。そうしてその建物に入っているカフェで、あんみつとパフェを食べて別れた。

文学や物語をめぐるエッセイが好き

今週のお題「読みたい本」


 読書時間が学生時代と比べるとめっきり減っている。ぶっ続けで読むということができず、数ページで目が疲れたり集中力が途切れたりして、今日はここまで、となる。間があくと内容を忘れて同じ箇所を何度も読むことになったり。まあそれも悪いことばかりじゃなくて、忘れたとは思っても頭のどこかに蓄積されてはいて、読むたびに理解が深まったり、長い時間をその本と共にすることで愛着がわいたりもする。

 私の読書時間は主に、通勤や帰宅のバス・電車に乗車している間である。ほぼ必ず文庫本一冊にブックカバーをかけて鞄に入れているのだが、読書じゃなく睡眠を選択することも多々あり、読んでいる本をいつまでもいつまでも読み終えられない。読み終わらないまま、気分で別の本に替えたりもする。そんなわけで、読み始めてはいるが読み終えていない本が何冊かあるので、それを今回は挙げてみようと思う。


・『式子内親王 永福門院』 竹西寛子

 目下、カバンに入れて読んでいる本。『詞華断章』という竹西寛子の日本に詩歌に関するエッセイが大好きで、そして最近、式子内親王の歌をよいなと思っていたので、そんな私にはぴったりの本である。
 難解なことが書いてあるわけではないのだが、筆者の思索についていこうとすると、文章を何度か行きつ戻りつしてやっと、そういうことかと理解するような箇所もある。その歌の良さや、歌から見えてくる歌人の人となり、思考などを人にもわかるように言語化するのはとても難しいことだろうと思う。深い洞察が不可欠であるし、一方で直感的、感覚的につかまえたことを理論立てて説明するという困難もある。歌を読み、味わうということは本当に果てしない行程だと思う。(けれど、そういう言語化の労をとらなくても、ただ歌を読んで好き!と思う楽しみ方もあるのが、鑑賞のよいところ)


・『ファンタジーと言葉』 アーシュラ・K.ル=グウィン

 ル=グウィンのいくつかのエッセイをまとめたものなのだけど、内容は多岐にわたり、何と説明したらいいものか難しい。ジェンダーやポリティカルコレクトネスについての話は、思慮深さと鋭さを兼ね備えている。一番初めの「自己紹介」という文章は、女性が(彼女自身も含め)ずっと二級市民として扱われてきたことへの強烈な皮肉を込めた、戯画化した自己紹介で、この本はこういう文章がずっと続くのかと少しとまどった。(そういうわけではなかった)
 彼女は子供時代、父親と交流のあったインディアンのおじさんたちと家族ぐるみで過ごした時期があり、その思い出についても語っている。実際のできごとを淡々と語っているのだが、大人になってから彼らについて理解できたこと、当時の自分へのああすればよかったという後悔などが滲みでていて、読んでいて胸がしめつけられた。
 後半の、物語を書くことについての話はまだ全て読めていない。この本の原題である『心のなかの波』(ヴァージニア・ウルフが「心のなかで作り出される文体の正しいリズム」を友人への手紙でそう呼んだ)という言葉にとても惹かれる。


・『定家明月記私抄 続篇』 堀田善衛

 前編である『定家明月記私抄』は先日、やっと読み終えたのだ。続篇はちょうど、『鎌倉殿の十三人』の時代ともかぶっていて、知っている出来事がでてきたりするとうれしい。


以上、今読みかけている本でした。時間をかけてもいいので全部読み終えたい。

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式子内親王・永福門院 現代日本のエッセイ

デパコスカウンターに行ってメイク用ブラシを買った

 メイク、常々ちゃんとしたいなーと思っている。普段日焼け止めや下地しか付けてないけど、メイクが嫌いなわけではない。メイクの知識を仕入れたりするのはけっこう好き。ただ、実際にはパフの手入れとか面倒くさいし、そういうのをきちんとやっていないとメイクをしても結局きれいに仕上がらないから初めからやらないということになってしまう。あと、私の場合アトピー性皮膚炎なので、それをきちんとケアしていないと肌のコンディションが悪くなり、化粧がうまくのらない。ファンデーション塗ってかえって肌がきたなく見えるときほどテンションが下がることはない。


youtu.be

 ちょっと前、オモコロのモンゴルナイフさんが永田さんにメイクする動画を見て、やはりメイクをきれいに仕上げるにはブラシなんだろうなーと思った。ただ、やはりブラシも手入れが必須であろう。この私がちゃんとブラシをこまめに手入れするだろうか。いや、きっとやらない。そう思い、ブラシを買うには至らなかった。

 そして最近、『メイクがなんとなく変なので友達の美容部員にコツを全部聞いてみた』(著者 吉川景都,BAパンダ)という本が話題になっていたので買って読んでみた。メイクについてなんとなくこうだろうと思い込んでいることについて、プロのBAさんがツッコミ、解説してくれる本。たとえばベースメイクで、くずれが気になるなら「くずれ防止」をうたったアイテムを選んで塗ればいいだろうと思いがちだけど、くずれ方も顔の部位によっていろいろあるし、その部位の状態にあった下地を塗ろう、とか。ちゃんと目的やアイテムの特性を意識することが大事ということが書いてあり、納得感があった。メイクをやりたいなという気持ちがむくむくと湧いてきた。そしてこの本を読んでみても思う。やはりブラシはあった方がよいのだ、と。
 ブラシねぇ…と、ネットを検索してみると、シュウ ウエムラのブラシがとてもよいと評判だった。そしてなんと、シュウ ウエムラではブラシクリーナーも販売されており、手間がかからずきれいになるので便利とレビューされていた。そんな性能のよいブラシクリーナーがあるなら、私でもブラシ使いになれるかもしれない。なるほど、シュウ ウエムラか。けれど評判のブラシは約7000円となかなかお高く、ネットで買うのはちょっとためらわれたので、実店舗に行ってみることにした。

 シュウ ウエムラの入っている地元のデパートにはおしゃれした女性たち、なかには着物のご婦人などもいて、そのなかを私は無地の無印Tシャツとカーキのズボンでそそくさと歩き、シュウ ウエムラの売り場に入り込んだ。それとなく商品を眺めて歩き、店員さんに声をかけられたので「ブラシはありますか?」と聞いたら、「すみません。置いてないんです」と言われがっかりしかけたところ「お隣のシュウ ウエムラさんなら置いてあると思います」と言われて「!?」となった。店舗と店舗の境界がないので、いつのまにかYSLの売り場に入り込んでいたのだった。
 気を取り直してシュウ ウエムラの売り場でブラシについて尋ねる。パウダーファンデーション用のブラシでおすすめのものはあるか聞くと、やはりあの約7000円の評判のブラシを勧められた。これです。

www.shuuemura.jp

 じゃあこれを、とお願いすると、「試してみなくていいですか?」と言われ、カウンターでファンデを塗ってもらうことになった。私は自分でメイクするのは苦手だけど、人にやってもらうのはわりと好き。今日の担当の人は話しかけてきすぎることなく、居心地がよかった。気になっていることを聞かれ、赤みが気になることを伝えると、それを抑えるような下地とファンデーションを選んでくれた。

 そういえば、私はコンシーラーの使い方が全然だめで、赤みを抑えたいけどコンシーラー付けると不自然になるので、ついでにそれも相談し、コンシーラーも選んでもらった。そうやって、ブラシとクリーナーだけでなく、下地、ファンデーション、コンシーラーも買うことになった。思うけどこれ、仕上がりがいいのって製品の力以上にBAさんの腕がいいからで、お試しでメイクしてもらったのと同じものを買っても再現できるとはかぎらないんだけど、やはり買っとかないと後悔する気もするし、カウンターでのメイクや相談の満足度が高いと気分もいいので買ってしまう。意気揚々と買って帰ってきてこの記事を書いているけど、実際に自分ではまだ使っていないので、これでメイクがうまくいくかは未知です。


 最後に、自分用のメモに、今日言われたアドバイスを書いておく。
・下地はパールサイズを取って塗る。スポンジで塗り広げるとよい。
・パウダーファンデーションの場合、パウダーファンデーション→コンシーラーの順番。そのあとに再度、ブラシやスポンジなどでコンシーラーをなじませる。
・コンシーラーのチップを直接使うよりは、チップからスポンジなどで取って塗るとよい。衛生的にも。
・ブラシの片側半分でファンデーションを取り、塗る。ブラシのファンデを取っていない側で、のばして整える。
・付属のパフは表裏で性質が異なっている。パウダーファンデーションの場合はけば立っている方の面を使う。
・ブラシクリーナは使い捨ての紙皿や紙コップなどに取って、ブラシの先数ミリを浸して汚れを落とす。あとはティッシュなどで拭いて干す。水ですすぐ必要はない。



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