緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

デパコスカウンターに行ってメイク用ブラシを買った

 メイク、常々ちゃんとしたいなーと思っている。普段日焼け止めや下地しか付けてないけど、メイクが嫌いなわけではない。メイクの知識を仕入れたりするのはけっこう好き。ただ、実際にはパフの手入れとか面倒くさいし、そういうのをきちんとやっていないとメイクをしても結局きれいに仕上がらないから初めからやらないということになってしまう。あと、私の場合アトピー性皮膚炎なので、それをきちんとケアしていないと肌のコンディションが悪くなり、化粧がうまくのらない。ファンデーション塗ってかえって肌がきたなく見えるときほどテンションが下がることはない。


youtu.be

 ちょっと前、オモコロのモンゴルナイフさんが永田さんにメイクする動画を見て、やはりメイクをきれいに仕上げるにはブラシなんだろうなーと思った。ただ、やはりブラシも手入れが必須であろう。この私がちゃんとブラシをこまめに手入れするだろうか。いや、きっとやらない。そう思い、ブラシを買うには至らなかった。

 そして最近、『メイクがなんとなく変なので友達の美容部員にコツを全部聞いてみた』(著者 吉川景都,BAパンダ)という本が話題になっていたので買って読んでみた。メイクについてなんとなくこうだろうと思い込んでいることについて、プロのBAさんがツッコミ、解説してくれる本。たとえばベースメイクで、くずれが気になるなら「くずれ防止」をうたったアイテムを選んで塗ればいいだろうと思いがちだけど、くずれ方も顔の部位によっていろいろあるし、その部位の状態にあった下地を塗ろう、とか。ちゃんと目的やアイテムの特性を意識することが大事ということが書いてあり、納得感があった。メイクをやりたいなという気持ちがむくむくと湧いてきた。そしてこの本を読んでみても思う。やはりブラシはあった方がよいのだ、と。
 ブラシねぇ…と、ネットを検索してみると、シュウ ウエムラのブラシがとてもよいと評判だった。そしてなんと、シュウ ウエムラではブラシクリーナーも販売されており、手間がかからずきれいになるので便利とレビューされていた。そんな性能のよいブラシクリーナーがあるなら、私でもブラシ使いになれるかもしれない。なるほど、シュウ ウエムラか。けれど評判のブラシは約7000円となかなかお高く、ネットで買うのはちょっとためらわれたので、実店舗に行ってみることにした。

 シュウ ウエムラの入っている地元のデパートにはおしゃれした女性たち、なかには着物のご婦人などもいて、そのなかを私は無地の無印Tシャツとカーキのズボンでそそくさと歩き、シュウ ウエムラの売り場に入り込んだ。それとなく商品を眺めて歩き、店員さんに声をかけられたので「ブラシはありますか?」と聞いたら、「すみません。置いてないんです」と言われがっかりしかけたところ「お隣のシュウ ウエムラさんなら置いてあると思います」と言われて「!?」となった。店舗と店舗の境界がないので、いつのまにかYSLの売り場に入り込んでいたのだった。
 気を取り直してシュウ ウエムラの売り場でブラシについて尋ねる。パウダーファンデーション用のブラシでおすすめのものはあるか聞くと、やはりあの約7000円の評判のブラシを勧められた。これです。

www.shuuemura.jp

 じゃあこれを、とお願いすると、「試してみなくていいですか?」と言われ、カウンターでファンデを塗ってもらうことになった。私は自分でメイクするのは苦手だけど、人にやってもらうのはわりと好き。今日の担当の人は話しかけてきすぎることなく、居心地がよかった。気になっていることを聞かれ、赤みが気になることを伝えると、それを抑えるような下地とファンデーションを選んでくれた。

 そういえば、私はコンシーラーの使い方が全然だめで、赤みを抑えたいけどコンシーラー付けると不自然になるので、ついでにそれも相談し、コンシーラーも選んでもらった。そうやって、ブラシとクリーナーだけでなく、下地、ファンデーション、コンシーラーも買うことになった。思うけどこれ、仕上がりがいいのって製品の力以上にBAさんの腕がいいからで、お試しでメイクしてもらったのと同じものを買っても再現できるとはかぎらないんだけど、やはり買っとかないと後悔する気もするし、カウンターでのメイクや相談の満足度が高いと気分もいいので買ってしまう。意気揚々と買って帰ってきてこの記事を書いているけど、実際に自分ではまだ使っていないので、これでメイクがうまくいくかは未知です。


 最後に、自分用のメモに、今日言われたアドバイスを書いておく。
・下地はパールサイズを取って塗る。スポンジで塗り広げるとよい。
・パウダーファンデーションの場合、パウダーファンデーション→コンシーラーの順番。そのあとに再度、ブラシやスポンジなどでコンシーラーをなじませる。
・コンシーラーのチップを直接使うよりは、チップからスポンジなどで取って塗るとよい。衛生的にも。
・ブラシの片側半分でファンデーションを取り、塗る。ブラシのファンデを取っていない側で、のばして整える。
・付属のパフは表裏で性質が異なっている。パウダーファンデーションの場合はけば立っている方の面を使う。
・ブラシクリーナは使い捨ての紙皿や紙コップなどに取って、ブラシの先数ミリを浸して汚れを落とす。あとはティッシュなどで拭いて干す。水ですすぐ必要はない。



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K2 感想 第24・25話『継承』 生体肝移植と医の倫理

 コミックDAYSの無料キャンペーンでK2を最新話以外すべて読み終わった。約2週間で400話以上読んだことになる。1話完結のエピソードも全て面白いし、シリーズをとおしてつながっていくストーリーも面白いし、とにかく内容が膨大すぎて語りつくせないので、とりあえず個別に印象に残ったエピソードの感想を書こうと思う。今回は、第24・25話『継承』。

 

 人間国宝である歌舞伎役者、仲川善十郎。その期待の跡継ぎと目されている孫の少年(貴俊くん)は胆道閉鎖症を患っている。症状が悪化し、治療には生体肝移植しかないということになり、貴俊の母親である文江がドナーとして名乗りでる。彼女自身の意思ではあるが、仲川善十郎は母親が息子ひいては家のために犠牲を払うのは当然のことと高圧的な態度。しかし、実は文江は心臓弁膜症を患っていた。本来、移植でドナーがリスクにさらされることはあってはならない(ゆえに心疾患などを持つ人はドナーにはなれない)が、文江としては自分の命をかけてもよいと思っているのだった。ひとえに息子を思う気持ちからだが、"家"の重圧はその自己犠牲心を助長する。文江の病気を知っているのは本人と夫と医師たちのみ。移植を行うことが大々的に報道され大学病院は後にひけない状況となっており、手術を成功させるためにKに執刀を依頼したのだった。事情を知った富永医師(副主人公的存在)は、ドナーにリスクのある移植など許されるわけないと憤るが、一方でKのメスさばきなら手術を成功させるかもしれないとも思う。果たして手術はどうなるのか?というお話。

 詳細は実際に作品を読んでもらいたいが、生体肝移植を行うことなくKは母子双方を救う。生体肝移植が必要という大学病院の医師の見立てが誤っていたのだった。移植を行わず手術が終わったことに動揺する家族や関係者にKは事情を説明する。そもそも文江の持病を知らなかった善十郎に、お前は知っていたのかと非難された文江の夫は「文江は自分が死ぬことを覚悟していた。人間国宝であるお父さんに嫁として認めてもらいたい。息子の貴俊を助けたい。たとえ自分が死んだって。母親としてそこまで覚悟できている文江をどうして私が止めることができるんですか!」と反論する。

 それに対して、Kはその考え方の間違いを指摘する。生体肝移植を必要以上に美談としてしまい、マスコミもそれを大々的にとりあげ、あなた方はそのことに酔ってしまった。臓器移植とは本来そのような感情に流されてはいけないものだ、と。生体移植は、脳死移植が少ない日本で代替的に行われているうちに症例数が増加しており、Kはその風潮を危惧しているのだった。

 この場面を読んで、なんてちゃんとした医療漫画なんだ!こんな漫画があったなんて!と驚いた。医療がマンガや小説やドラマなど物語のなかで扱われるとき(あるいは現実のエピソードであっても)、美談になりがちだったり、感情的な視点でしか語られていないことが多くある。主人公がはっきりと医の倫理や問題点について述べることも、それがわかりやすく伝わるようなエピソードを作れるのもすごい。そのうえでちゃんと感動もあるのだ。

 

 けれど、この話はこれで終わらない。第274話~の『親不知』というエピソードは、レギュラーキャラの一人、譲介という医師になることを目指す青年の話なんだけど。譲介は物心つかないときに親に捨てられ児童養護施設で育ち、その施設で裏ボス的存在として君臨する、初めは倫理観やばやば少年だったんだけど、闇医者TETSUに拾われ医師を目指すようになり、さらに紆余曲折を経てKのもとで学ぶうちに成長し人間的に変わってきたというところだった。そんなある日突然、Kの診療所にTETSUが現れ、譲介の実母を見つけたと譲介を連れていく。実母には息子がおり(譲介にとっては異父弟)、その弟は胆道閉鎖症を患っていた。生体肝移植を行わないと持たないという状態だが、母親は事故による肝挫傷の既往があり、ドナーになれない。自分を捨てた母親の息子、父親も異なるが、譲介はドナーになることを希望する。Kは文江さんのときと同様、医者ならば健康体にメスを入れることには躊躇を覚えること、100%の安全性は保障されないことを譲介に淡々と語るが、譲介は「それでもお願いしたいんです」と必死に頼み込む。「自分でも説明できない感情なんです。身寄りなんかいないと思っていた自分に突然弟が現れて。たとえ血が半分しか繋がっていなくても、あの子は僕の弟…。僕が分けた肝臓で彼の命が救えるのなら」言葉に詰まらせる譲介に、「わかった。もう言うな。お前のその気持ちは尊い」とKは手術を引き受ける。「こういう感情がある限り…生体肝移植はなくならんのかもしれん」とKはつぶやく。

 ここで、『継承』で言っていた、「臓器移植は、感情で流されてはいけないものだ」という考え、それ自体は正論だが、実際にはそのような感情が存在するために移植というものは行われるわけで、その感情自体をKは否定しない(できない?)んだよね。『継承』の回から250話ほどあいているけれど、Kはこの問題を常に抱えて考え続けているということがわかる。こういうところが、『K2』という作品のすばらしさだよなぁと思う。

日記

3月2日

帰り道、駅の近くで夕食をとり、駅から家まで歩いた。寒いけど春の気配がする。月はどこだろうと思い、ふと見上げると頭上にあった。上を向かないと存在に気づけない。

明日は健診。特に絶食の指示はないが採血があるのでなるべく遅くに食べないようにしようと思ったが、おなかがへって22時頃にカフェインレスのコーヒーとスティックサラダとさくさくパンダを4個くらい食べてしまった。

ツイッターのフォロイーさんが話題にしていた『むこうぶち』の安永萬名勝負特集がKindleで無料だったのでダウンロードした。「呪い」「孤塁」を読んだ。麻雀はさっぱりわからないが、ドラマはわかる。安永の表と裏の世界で勝負し続ける麻雀ひと筋の生き方が熱い。普段の人柄は真っ当なだけに、その内に秘めた異常なまでの情熱が際立つ。そしてそんな安永を傀が気に入ってるんだろうなというのもわかった。

生理と婦人科受診

※あくまでこの記事に書いてあることは私個人のケースです。この記事と症状似ているから自分もこうかな…などと自己判断はなさらないようにお願いします。気になる症状があれば、医療機関を受診しましょう。

 

 

 4~5年前からだったか。2日目の経血の量がそれまでにないくらい多いことがあったり(普段から生理の間は多い日用ナプキンを使用しているが、ドバっと出てそれを一瞬で替えないといけないということがあった)、これまでは「痛いな…」と思いつつも座っていればやり過ごせていた生理痛がちょっと横になって休みたくなるようになったり、ということが起こるようになった。ただ、2日目の重さが前よりさらにヘビーになったというだけで、貧血が進んでいるわけではないし、周期は嫌になるほど規則的に月イチで来ている。何なら間隔も昔は35~40日とやや長めで変動があったのが、28~30日と短くなってきている。そんなこと望んでいないのだが。

 私は30代後半にもなればてっきり生理は徐々に軽くなってくるものと思っていた。これまでの私の生理は「普通のやや重め寄り」だと自分では思っている。人とは比較しようがないけれど、「生理痛なんてない。月経中も軽い日用ナプキンで済んでいる」というほど軽くないし、「学校や仕事を休まないといけないほど体調が悪くなる」というほど重くもない。だからまあ「普通」なのだろうけど、2日目は眠気強すぎて必ずやらなくてはいけない最小限のことをこなすのでせいいっぱいだし(少しでも時間が空けば突っ伏して寝ている)、体もだるくてグワッと生理痛もくるわでかなり気構えが必要なので、若干重い方なんじゃないかと思いたい。

 その「普通のやや重め寄り」が、軽くなるどころかさらに重くなるとは憂鬱だ。あと10年くらいは生理と付き合わないといけないのに。もちろん重い生理痛や多量の経血は子宮筋腫子宮内膜症が原因の可能性もあるから、まずは検査を受けてからの判断になる。それで特に病気がなにもなければ、よかったね!なんだけど、年取っても生理って重くなることあるんだ…というガッカリな現実は残る。

 これまでは、生理は月1回、一番しんどい2日目とその前後を何とか乗り切ればいいし、生理が規則的に来ているという事実で気持ち的に安心できる部分もあって、ピルを飲むことを考えたことはなかったのだけど、ここへ来てあと10年もある…と思ったとき、薬で生理痛や経血量を軽くできるならやってみたいという考えが芽生えてきた。もちろん、人によっては副作用が出て合わないこともあるから、薬を飲んでみたうえでの判断にはなるけれど。そんなわけで、検査と薬物療法の相談目的で婦人科のクリニックを受診することにした。

 

1.検査

 エコーでごく小さい子宮筋腫はあったけど、症状が出るような病変ではないとのこと。よかった。

 

2.薬物療法

 年齢的には血栓症のリスクのある低用量ピルは勧められないとのことで、ジエノゲスト(黄体ホルモン製剤)を勧められた。子宮内膜の増殖を抑える作用があり、生理が軽くなる代わりに、普段から少量の不正出血が副作用として出るとのことだった。

 指定された用法どおり生理2日目から服用し始めた。服用し始めた生理を1回目とカウントすると、2回目の生理は普通に来た。若っっ干(じゃっっかん)、生理痛が軽いかな、経血量も気持ち少ないかなという感じ。そして2回目の生理終了以降、毎日不正出血が出ている。1回目と2回目の間はほとんどなかったので油断していたのだが。日によってかなりしっかり出血あるので、軽い日用のナプキンを使用している。

 これだけ不正出血があるのなら、3回目以降の生理はもっと軽くなるだろうかと期待しているのだが、さてどうだろうか?(この考え方で合っているのかもわからない)

 

※あくまでこの記事に書いてあることは私個人のケースです。この記事と症状似ているから自分もこうかな…などと自己判断はなさらないようにお願いします。気になる症状があれば、医療機関を受診しましょう。(大事なことなので2回書きました)

 

 

 

2023年に意識すること

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

 1月3日が仕事始めだったのだが、その週末に新年早々体調を崩し、三連休のお出かけの約束もお断りして用心してほぼ家で過ごした。長時間の外出にはしんどいが、家で過ごすには比較的元気だった。それで家の整理を少ししてみたり、オンラインのフィットネスを1回ほどしてみたり(3日間のうちで6分だけ)、近所への買い物で日用品を補充したり、珍しくご飯を多めに炊いて余りを冷凍保存したりした。それ以外は三連休の大半をぼーっとして過ごした。録画したテレビ番組を見ようとしても見る気が起きない。本棚の本を手に取っても、数ページ読んだら戻してしまう。日記もブログも二次創作も特に書きたいものが思いつかない。往々にして私はこの状態になる。"空っぽ状態"と自分で呼んでいる。せっかく時間があるのに、普段したいと思っているはずのインプットもアウトプットもする気が起きない。かといって家事や勉強に邁進することもない。なんてもったいない時間の使い方しているんだろうと思う。できることといえば、ツイッターのタイムラインを眺めたり、ネット記事やブログをざっと読んだりすることだけだ。

 人のブログやnoteを読んでいると、これだけたくさんのことを考えているなんてすごい!と思う。私はこんな長文で書けるほどまとまった思考を普段からしているだろうか?最近、本当にツイッターでつぶやくような「今日は寒い」「眠い」などのことしか考えていないと思う。いや、これを考えるとは言わないな。生理的欲求や快・不快を感じているだけだ。幼児か?

 そんな反省をふまえて今年の目標を立ててみる。

 

  • 考えて書いてみる。または書いて考える。

 先ほど考えていないと言ったが、実際は記事や人の意見を読んだときに何事かは考えていると思う。ただ、それを書くに値しないと思っている。またはうまく書けると思えないから書かないのだと思う。何かを観たり読んだりした後の感想だってあるのに、書こうという情熱がわいてこないこともある。

 それでも少しでも何か書いてみようと思う。ネガティブな感想だったりしてネットに載せるのがはばかられるのなら、自分だけが見るノートにでもよい。きちんとした文章でなくてもよい。"空っぽ状態"も悪いことではないと思うけど、やはり書いたり考えたりすることで自分を形づくりたいと思う。

 

  • 自信をつけるために勉強する。やるべきと思ったことはなるべくやる。

 仕事上で苦手なことがある。発表とそのあとの質疑応答。あと、迷った時の決断。これはおおもとをたどれば、自分の知識のアップデート不足という自覚がある。日々、論文を読むという習慣がないけど、気になったことはすぐ調べるとか、勉強会で出てきた話をまとめてみるとか(その場でメモはしているのだが、メモはぐちゃぐちゃなままであまり見直すことがなかった)、勉強したことが頭に残るような習慣・方法を見つけていきたいと思う。

 

  • これからの働き方、人生を考える。

 基本、外からの要請のままに異動し(どうしても無理と思ったものは断ったことがあるが)、その職場でこなすべき業務をしてきた。忙しい職場ではヒーヒー言いながらたまにミスもしながら何とかやって、あとから考えると限界に近かったなというところもある。よい経験ではあったが、苦い記憶もある。今の職場はその頃に比べればだいぶ楽である。

 昨年末から、ある人とおつきあいすることになった。そうなってみて思うが、どうにも自分はこれからの人生どうしたいみたいなビジョンがあまりなく、ふわっとしている。それはそれでいいのかもしれないし、相手の人も一緒にゆっくり考えていければという感じではある。さっそく今回、お出かけの約束を体調不良でお断りしたりしたが、LINEで不調を訴えた私を気遣ってくれた。

 いろいろ今年の目標を書いてはいるが、体力はないし、つけようにも急にはつかないだろうし(むしろ維持するのがせいいっぱいだろう)、予定を入れて忙しくするより一人ぼーっとするのが好きという性質は変わらないだろうと思う。それでもこうやって新しい出会いがあり、環境も仕事上の自分の立場も変わっていく。自分のキャパシティを見極めつつ、少しでも自信をもっていられるよう、楽しいと思えるように日々を送れたらよいなと思う。