緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

K2 感想 第24・25話『継承』 生体肝移植と医の倫理

 コミックDAYSの無料キャンペーンでK2を最新話以外すべて読み終わった。約2週間で400話以上読んだことになる。1話完結のエピソードも全て面白いし、シリーズをとおしてつながっていくストーリーも面白いし、とにかく内容が膨大すぎて語りつくせないので、とりあえず個別に印象に残ったエピソードの感想を書こうと思う。今回は、第24・25話『継承』。

 

 人間国宝である歌舞伎役者、仲川善十郎。その期待の跡継ぎと目されている孫の少年(貴俊くん)は胆道閉鎖症を患っている。症状が悪化し、治療には生体肝移植しかないということになり、貴俊の母親である文江がドナーとして名乗りでる。彼女自身の意思ではあるが、仲川善十郎は母親が息子ひいては家のために犠牲を払うのは当然のことと高圧的な態度。しかし、実は文江は心臓弁膜症を患っていた。本来、移植でドナーがリスクにさらされることはあってはならない(ゆえに心疾患などを持つ人はドナーにはなれない)が、文江としては自分の命をかけてもよいと思っているのだった。ひとえに息子を思う気持ちからだが、"家"の重圧はその自己犠牲心を助長する。文江の病気を知っているのは本人と夫と医師たちのみ。移植を行うことが大々的に報道され大学病院は後にひけない状況となっており、手術を成功させるためにKに執刀を依頼したのだった。事情を知った富永医師(副主人公的存在)は、ドナーにリスクのある移植など許されるわけないと憤るが、一方でKのメスさばきなら手術を成功させるかもしれないとも思う。果たして手術はどうなるのか?というお話。

 詳細は実際に作品を読んでもらいたいが、生体肝移植を行うことなくKは母子双方を救う。生体肝移植が必要という大学病院の医師の見立てが誤っていたのだった。移植を行わず手術が終わったことに動揺する家族や関係者にKは事情を説明する。そもそも文江の持病を知らなかった善十郎に、お前は知っていたのかと非難された文江の夫は「文江は自分が死ぬことを覚悟していた。人間国宝であるお父さんに嫁として認めてもらいたい。息子の貴俊を助けたい。たとえ自分が死んだって。母親としてそこまで覚悟できている文江をどうして私が止めることができるんですか!」と反論する。

 それに対して、Kはその考え方の間違いを指摘する。生体肝移植を必要以上に美談としてしまい、マスコミもそれを大々的にとりあげ、あなた方はそのことに酔ってしまった。臓器移植とは本来そのような感情に流されてはいけないものだ、と。生体移植は、脳死移植が少ない日本で代替的に行われているうちに症例数が増加しており、Kはその風潮を危惧しているのだった。

 この場面を読んで、なんてちゃんとした医療漫画なんだ!こんな漫画があったなんて!と驚いた。医療がマンガや小説やドラマなど物語のなかで扱われるとき(あるいは現実のエピソードであっても)、美談になりがちだったり、感情的な視点でしか語られていないことが多くある。主人公がはっきりと医の倫理や問題点について述べることも、それがわかりやすく伝わるようなエピソードを作れるのもすごい。そのうえでちゃんと感動もあるのだ。

 

 けれど、この話はこれで終わらない。第274話~の『親不知』というエピソードは、レギュラーキャラの一人、譲介という医師になることを目指す青年の話なんだけど。譲介は物心つかないときに親に捨てられ児童養護施設で育ち、その施設で裏ボス的存在として君臨する、初めは倫理観やばやば少年だったんだけど、闇医者TETSUに拾われ医師を目指すようになり、さらに紆余曲折を経てKのもとで学ぶうちに成長し人間的に変わってきたというところだった。そんなある日突然、Kの診療所にTETSUが現れ、譲介の実母を見つけたと譲介を連れていく。実母には息子がおり(譲介にとっては異父弟)、その弟は胆道閉鎖症を患っていた。生体肝移植を行わないと持たないという状態だが、母親は事故による肝挫傷の既往があり、ドナーになれない。自分を捨てた母親の息子、父親も異なるが、譲介はドナーになることを希望する。Kは文江さんのときと同様、医者ならば健康体にメスを入れることには躊躇を覚えること、100%の安全性は保障されないことを譲介に淡々と語るが、譲介は「それでもお願いしたいんです」と必死に頼み込む。「自分でも説明できない感情なんです。身寄りなんかいないと思っていた自分に突然弟が現れて。たとえ血が半分しか繋がっていなくても、あの子は僕の弟…。僕が分けた肝臓で彼の命が救えるのなら」言葉に詰まらせる譲介に、「わかった。もう言うな。お前のその気持ちは尊い」とKは手術を引き受ける。「こういう感情がある限り…生体肝移植はなくならんのかもしれん」とKはつぶやく。

 ここで、『継承』で言っていた、「臓器移植は、感情で流されてはいけないものだ」という考え、それ自体は正論だが、実際にはそのような感情が存在するために移植というものは行われるわけで、その感情自体をKは否定しない(できない?)んだよね。『継承』の回から250話ほどあいているけれど、Kはこの問題を常に抱えて考え続けているということがわかる。こういうところが、『K2』という作品のすばらしさだよなぁと思う。