緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

2023年に意識すること

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

 1月3日が仕事始めだったのだが、その週末に新年早々体調を崩し、三連休のお出かけの約束もお断りして用心してほぼ家で過ごした。長時間の外出にはしんどいが、家で過ごすには比較的元気だった。それで家の整理を少ししてみたり、オンラインのフィットネスを1回ほどしてみたり(3日間のうちで6分だけ)、近所への買い物で日用品を補充したり、珍しくご飯を多めに炊いて余りを冷凍保存したりした。それ以外は三連休の大半をぼーっとして過ごした。録画したテレビ番組を見ようとしても見る気が起きない。本棚の本を手に取っても、数ページ読んだら戻してしまう。日記もブログも二次創作も特に書きたいものが思いつかない。往々にして私はこの状態になる。"空っぽ状態"と自分で呼んでいる。せっかく時間があるのに、普段したいと思っているはずのインプットもアウトプットもする気が起きない。かといって家事や勉強に邁進することもない。なんてもったいない時間の使い方しているんだろうと思う。できることといえば、ツイッターのタイムラインを眺めたり、ネット記事やブログをざっと読んだりすることだけだ。

 人のブログやnoteを読んでいると、これだけたくさんのことを考えているなんてすごい!と思う。私はこんな長文で書けるほどまとまった思考を普段からしているだろうか?最近、本当にツイッターでつぶやくような「今日は寒い」「眠い」などのことしか考えていないと思う。いや、これを考えるとは言わないな。生理的欲求や快・不快を感じているだけだ。幼児か?

 そんな反省をふまえて今年の目標を立ててみる。

 

  • 考えて書いてみる。または書いて考える。

 先ほど考えていないと言ったが、実際は記事や人の意見を読んだときに何事かは考えていると思う。ただ、それを書くに値しないと思っている。またはうまく書けると思えないから書かないのだと思う。何かを観たり読んだりした後の感想だってあるのに、書こうという情熱がわいてこないこともある。

 それでも少しでも何か書いてみようと思う。ネガティブな感想だったりしてネットに載せるのがはばかられるのなら、自分だけが見るノートにでもよい。きちんとした文章でなくてもよい。"空っぽ状態"も悪いことではないと思うけど、やはり書いたり考えたりすることで自分を形づくりたいと思う。

 

  • 自信をつけるために勉強する。やるべきと思ったことはなるべくやる。

 仕事上で苦手なことがある。発表とそのあとの質疑応答。あと、迷った時の決断。これはおおもとをたどれば、自分の知識のアップデート不足という自覚がある。日々、論文を読むという習慣がないけど、気になったことはすぐ調べるとか、勉強会で出てきた話をまとめてみるとか(その場でメモはしているのだが、メモはぐちゃぐちゃなままであまり見直すことがなかった)、勉強したことが頭に残るような習慣・方法を見つけていきたいと思う。

 

  • これからの働き方、人生を考える。

 基本、外からの要請のままに異動し(どうしても無理と思ったものは断ったことがあるが)、その職場でこなすべき業務をしてきた。忙しい職場ではヒーヒー言いながらたまにミスもしながら何とかやって、あとから考えると限界に近かったなというところもある。よい経験ではあったが、苦い記憶もある。今の職場はその頃に比べればだいぶ楽である。

 昨年末から、ある人とおつきあいすることになった。そうなってみて思うが、どうにも自分はこれからの人生どうしたいみたいなビジョンがあまりなく、ふわっとしている。それはそれでいいのかもしれないし、相手の人も一緒にゆっくり考えていければという感じではある。さっそく今回、お出かけの約束を体調不良でお断りしたりしたが、LINEで不調を訴えた私を気遣ってくれた。

 いろいろ今年の目標を書いてはいるが、体力はないし、つけようにも急にはつかないだろうし(むしろ維持するのがせいいっぱいだろう)、予定を入れて忙しくするより一人ぼーっとするのが好きという性質は変わらないだろうと思う。それでもこうやって新しい出会いがあり、環境も仕事上の自分の立場も変わっていく。自分のキャパシティを見極めつつ、少しでも自信をもっていられるよう、楽しいと思えるように日々を送れたらよいなと思う。