緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

更級日記をこよなく愛する

今週のお題「最近おもしろかった本」

 角川ソフィア文庫の『更級日記』(原岡文子 訳注)をかばんに入れて通勤の乗り物などで読んでいたのだが、いつもぱら読みで同じ箇所を何度も読んだりしていて、なかなか読み終えられなかった。けれども先月やっと全部読み終えた。私は菅原孝標女に並々ならぬ敬愛の気持ちを抱いていて、今年の夏休みは彼女が参詣した石山寺を訪れたほどだ。

 なぜそんなに更級日記が好きなのか。それは、現代を生きる私たちが経験するのと同じような感情の動きが描かれているからだ。そして日常のエピソードが面白かったり、ほほえましかったりする。特に子供のころの話は現代でいう少女小説のような趣がある。ざっと書くと

・東国の田舎にいた子供のころ、大人たちの話題にあがる源氏物語などの物語をどうしても読みたかったが、手元に書物はない。小さい薬師仏を自分で作り、都へ行かせてくださいとお祈りしていたら、行けることになった。出立の日、薬師仏を置いていくのがひどく悲しかった。

・旅の途中で話に聞いた、竹芝の言い伝えという超萌えエピソードを書き残している。

・都に着き、引っ越したばかりで皆忙しそうだが母親に「物語を見せて見せて」と頼んだら、いくつか冊子をもらってきてくれたので、夢中で読み始める。

・東国で別れた乳母が亡くなったと聞き、また同じころ、大納言の姫君が亡くなった。手本としてもらっていた姫君の筆跡を見ては悲しんでいると、母親が元気づけようと物語を持ってきてくれた。源氏物語の若紫などを読むと、先が知りたくてたまらない。そんな折、親戚の叔母さんがなんと源氏物語を全巻セットでくれる。天にも昇る気持ちで夜も昼も読みふける。そんなとき、美しい僧が夢にでてきて「法華経を習え」と言ったが、気にも留めなかった。

・入り込んできた猫を、姉と二人でこっそり可愛がっていたら、姉の夢の中でその猫は大納言の姫君の生まれ変わりだと名乗る。猫を撫でながら「姫君がここにいらっしゃるのね。姫君のお父様にお伝えしたいわ」と話しかけると、猫は言葉を理解しているかのようにこちらを見つめ鳴く。

・ある夜、姉と語らっていると「わたしがゆくえもしれずどこかへ行ってしまったらどう思う?」と姉が言い出し、とまどう。

・火事で猫が亡くなり、その後、姉が亡くなる。家族や姉の乳母など近しい人と歌を詠み姉の死を悼む。

 

 子供時代は教科書に載る場面も多く、知っている人が多いかもしれない。親しい人々の死が続くのだけど、悲しい思いに沈みながらも不思議なできごとが起こっていてどこか幻想的だ。現実を生きながらも半分違う世界で生きていたような作者のお姉さんも気になる。

 

 成長してからの話も面白い。大人になってからは、二度の宮仕え、物詣で、家庭の事情、友人との文のやりとりなどの話が中心である。

 作者の宮仕えに対する親の反応は、仕事する娘に対する古い頭の親というのは昔も今もそんなに変わらないんだなと面白い。最初の宮仕えは「なんでわざわざそんなことするの」と親が反対してやめさせてしまうのである。また、遠くの寺に参詣するとき、親は心配性でこういう物詣でを全然させてくれなかったと愚痴を書いているのも、わかる…と共感してしまう。

 神仏への信仰は、作者にとっては物語の世界に没頭することの反対側に位置づけられていて、いわば私たちにとっての勉強、仕事のような"すべきこと"である。この"したいこと"と"すべきこと"の間にいて、『もっと若い頃から信仰の道へ邁進するべきであったのに』と後悔するような文章が何度もでてくる。

 そんな作者が思い立って初瀬詣でをするのだが、たまたまその日が大嘗会という天皇一代に一度しかない儀式が行われる日だったというエピソードがある。田舎の人だって見に来る見ものなのに、よりによってそんな日に参詣するなんて正気の沙汰じゃないと周囲から反対されるのだが、作者は意地になって初瀬への物詣でを敢行するのだった。こうやって妙なタイミングでやる気をだしてしまうこと、あるよね…と思いながら読んだ。大嘗会を見物しようという人々の流れに逆らって奇異に見られながら道を行く描写なども笑ってしまう。それだけの決意で詣でながら、途中の宇治の渡しで足止めをくらっているとき、『ここ、源氏物語に出てくる宇治じゃん。どんなとこか気になってた!』と興味深く見ている作者。こんなときでもやはり物語のことを考えてしまっている。

 作者は、一度宮仕えを親にやめさせられてからも宮家のほうから声がかかって再び出仕することになるので、女房としてもそれなりに周囲に馴染んで好かれていたのではないかと思う。友人との会話や文のやりとりについて書かれた場面も多いし。

 成人してからのエピソードでもっとも印象深いのは、才人である男性(名前はでてこないが解説によると源資通)との時雨の夜の語らいである。作者ともう一人女房がいるところにその人がたまたま訪れて、三人で語り合うのだが、彼は色ごとめいたことは言わず、落ち着いた様子で世間話などして、春と秋のどちらがよいかについて問いかける。もう一人の女房は秋をとったので、作者は春の夜に心をよせた歌を詠む。男性はその歌を繰り返し口ずさみ「それでは春の夜というものをあなたとの出逢いの思い出のよすがとしましょう」と言うと、もう一人の女房は「お二人とも春に心を寄せてしまわれたようですね。私だけが見ることになりましょうか、秋の夜の月は」という歌を詠む。男は面白がって、春秋の決着はつけず、人それぞれにその季節に心をよせる理由があるのだろうと言い、自分は伊勢神宮に勅使として行ったとき、旅先であることや神域であるという思い、そして特別なできごとから雪積もる冬の夜の月が忘れられないものとして心に残っていることを語る(当時、冬の夜の月は興ざめなものとされていた)。そして今夜のような暗い闇の時雨の夜もこれからは心にしみるものとなるだろうと結ぶ。

 こういう会話はそれぞれが深い教養と情趣を解する心をもっていないと成立しないと思うので、それこそ源氏物語の一場面のように素敵でうらやましいような気持ちになる。その後、作者と男性は一度短く言葉を交わす機会があったきりだったと書かれている。恋ではないかもしれないが、長い人生のなかのひとときの小さい奇跡のような出会いを特別な記憶として大事にしていて、このように書き残す気持ち、とてもよくわかる。

 

 全部読んでみてあらためて、この日記の冒頭をまず"物語というものの存在だけは知っていて、読みたくてたまらない自分"から書き始めたことに唸ってしまう。物語への渇望が自分の人生の原点なのだと、彼女は自覚している。菅原孝標女は、『夜の寝覚』『浜松中納言物語』などのいくつかの物語の作者だとされている。信仰ひとすじに励まず、物語のことを考えてふわふわしていた若い自分を後悔することはあっても、彼女は終生物語を愛し続けたのだと思う。この日記が千年後までこうやって残っていて私たちが読めるということがとてもうれしい。