緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

「時代は地味メン」特集企画(脳内)

2015~16年頃だろうか、もし自分がアンアンの編集者だったら「時代は地味メン」という企画を今やるのになあと妄想していたことがある。私にとってトレンドの男性像のサンプルといえばひとつしかない。少年ジャンプの人気作品である。ちょうどこのころは黒バスが連載終了後もアニメや映画でその勢いはとどまるところを知らず、斉木楠雄のΨ難もついにアニメ化にこぎつけ知名度と人気アップという時期だった。この作品の主人公たち、黒子や斉木はクラス内では目立たない立ち位置(設定としては)で、あまりしゃべらない(といって、寡黙クールというキャラづけでもない)。こういうキャラクターがジャンプの人気作品の主人公として幅広く支持されているということに新たな時代を感じたのだった。

冴えない普通の、またはいじめられっ子の主人公というのは昔から王道パターンの一つだけど、黒子や斉木はそれとはちょっと違う。本人たちが自分のキャラクターや立ち位置を特に気にしたり変えようとしたりしていないのだ。クラス内で地味だろうがぼっちでいようが気にせず淡々とマイペースでいる。あまりしゃべらないわりに言いたいことは言うし、そのうちいろんな人に慕われて作中のもっとも美人からも好かれていたり主人公らしさも備えている。

それでも基本的なスタンスとしては
1.あまりしゃべらない
2.目立たない
3.趣味がインドア派(読書、映画鑑賞、ゲームなど)
ということで、同じような性質をもつ人間からすると勇気づけられたり、憧れたりもするんじゃないかな。特にスクールライフまっただなかの小中学生、高校生たちにとっては。私も10代のときだったらすごく影響受けたと思うもん。ぼっちだろうと存在忘れられてようと卑屈にならずに周りを気にしすぎずに堂々と淡々としていようと、黒子や斉木を見ていると思える。

もちろん、結局二人とも地味とはいえハイスペックだろ?とつっこまれればうなずくしかないんだけど(斉木とか超能力者だし)、性格とスペックは別物だからさ…。主人公の魅力ってぶっとんだ凄さと親しみやすさの遠近両方あって発揮されると思うんですよね。

ひとまずサンプルはこの二人しか思いつかないけど(少なっ)、ジャンプの人気マンガともなると時代の潮流として無視できないのではないか。地味メン特集でぜひこの2人をピックアップしてほしい…きっとウケもいいぞ……などと思ってるうちに数年が経過したのだった。まぁ黒バスも斉Ψもいまだ根強い人気を保っているし、今からでも遅くないかもしれない。

近況 ジョジョと斉木と明月記

大きな仕事の〆切はないのでそこは気が楽だけど、この時期に多い書類仕事が順調に蓄積されている。勤務時間終わったあとの夕方~最終バスの時刻までに少しずつ片づけられればいいんだけど、その時間帯にカンファレンスとか入ったりすると、書類を処理する時間がない。

あと、上司に頼まれていたある分野のまとめとか(緊急性があるわけではなくて、なんと昨年から言われているのを伸ばし伸ばしにしていた。いいかげんにしろ)、最近「あれはどうした」と上司に言われたのでさすがに今やっている。

 

趣味の方。ジョジョ5部アニメは最近ノトーリアスBIGからポルナレフ登場までまとめて見た。ノトーリアス戦はトリッシュが活躍するのが大好き。リゾットVSドッピオ戦は主人公陣営であるナランチャエアロスミスが第三の要素として絡んでくるあたりがあらためてすごいな、と。キングクリムゾンVSメタリカはどちらの覚悟も読み合いもすごくてベストバトルのひとつですよね。アバッキオの死の回は、時間の流れ方とかすごくよかった。ローマ、コロッセオにくるといよいよ最終章感がましてきて、昔読んだときは恐ろしかったグリーン・デイとオアシスとの戦いが、最後の楽しいお祭りのように感じられてしまった。満身創痍のブチャラティがつらい。

漫画は、最近ストーリーものを追いかける気力がなくて、ゴールデンカムイ進撃の巨人も最近のコミックス数巻くらい買えないでいる。でも何か読みたくて先日は斉木楠雄のψ難の10~12巻を買ってきた。昨年少しずつ集めていて、ちょうど10~15巻を持っていなかったのだ。10~12巻は楠雄の兄の空助初登場でその後も何回か登場する。空助の天才なのに弟に一度も勝てなくてこじらせているキャラクターは秀逸だなと思った。

あと、読書では『定家明月記私抄』(堀田善衛)を少し読んだ。定家、歌人ということしか知らなかったけど、二流貴族として暑い中も寒い中も雨雪の中も日々どこかに出かけて誰それへの挨拶だったり後鳥羽上皇の放埓な遊びにつきあったりしないといけなくて、老体(40代だけど、いろいろ体悪くしていたようだ)にはしんどいみたいな日記つけていて、いつの時代も大変だよなと思ったりした。また、明月記のなかに出てくる、

行蛍なれもやみにはもえまさる子ヲ思ふ涙あはれしるやは

という、病気の息子を思って詠まれた特に公には出ていない歌について、「他に掛け替えのない深甚な経験にもとづくものが(中略)平凡なものになるという奇観」と作者が書いていたのが興味深かった。こんな私生活に基づいた歌も個人的に詠んでいたのだなと親しみがわく。

 

ジョジョ5部アニメが毎週楽しみすぎる

ジョジョ5部「黄金の風」のアニメを毎週楽しみに見ている。これがあるからなんとか一週間やっていけている気がする。あんな濃厚なストーリーが毎週どんどこ進んでいくなんてぜいたくすぎる。(この先、原作のネタばれもあります)


原作は高校生の頃、連載終了後にコミックスで一気読みした。この時はジョジョってアニメ化とかしないタイプの作品だと思っていた。当時はわりとアニメ化するメジャーな傾向の作品とそうでない作品というのが分かれていた気がする。深夜アニメも今みたいに多くはなかったし。だからそれから10年以上たって、ジョジョがアニメ化すると聞いたときは驚いた。ちゃんと原作の面白さや凄さを再現できるのか疑問に思ってたけど、見てみたらものすごく力が入っていてファンの満足する仕上がりだった。でも、それでも5部までアニメ化されるかはわからないので、期待しすぎないようにしていた。5部は主人公のジョルノがディオの息子ということで一応他の部とつながりはあるのだけど、ストーリーが独立していて外伝のような趣があるからだ。
「5部までやるかねぇ」
「さぁ~、4部はファンが多いからやると思うんだけどね~」
などと弟と話していた。そんな、5部がファン少ないみたいな…。もちろん弟だって5部は好きなのだが、5部はなんとなくアニメ化が想像しにくい雰囲気があった。だってイタリアのギャングがひたすら戦ってる話だし。キャラの名前も、吉良吉影岸辺露伴ほど人口に膾炙していない気がするし。
そんなふうにずっと思っていたので、この2018~2019年、ジョジョ5部のアニメが放送されているということがいまだに信じがたい。もうすでに現実になっているというのに。

ものすごくはまっていたとはいえ、もう10年近く読み返していない気がするし、内容をけっこう忘れているのでアニメを新鮮に楽しめている。忘れっぽいのもいいこともあるんだな。それだけじゃなく、大人になって新たな視点で作品を味わえてもいる。高校生の頃は硬派というか、ストーリやバトルを味わうのがメインで、もちろんキャラの魅力も感じていたんだけど、今みたいに細かいところに萌えたりキャラの関係性を深く考察するなんてこともなかったから、大人になってみると、こんなに萌えどころあったんだなって新たな発見がある。高校生の頃の骨太な読み方もよい経験だったし、一作品で何度もおいしい。

高校の頃は、護衛チームのなかではナランチャブチャラティがわりと好きだった。大人になってから読み返すと好きなキャラ変わるかなーとか思ったんだけど、わりと全キャラに魅力を感じるようになった。ジョルノに対しては、最良策を見つけだす賢さや感情を表に出さない冷静さを主人公にしては親しみにくいように感じていたのだけど、いま読み返してみるとそうはいっても完全無欠ではなくところどころ感情がかいまみえるところがあり少年らしさを感じるところもあってかわいく思えるようになった。アバッキオは、本当に人がよい。しみじみとそう感じる。ミスタに関しては、私は語れるほどよく掴めていないのだけど、このチームにおけるミスタの立ち位置はよいよな、と思う。ブチャラティを慕うアバッキオフーゴナランチャとは一線を画していて、だからブチャラティもミスタの意見を重んじるし、本人もいうようにNo.2としての役割を十分担えると思う。フーゴは立場上、他のキャラに比べて描写が少ないのだけど、すごく働き者だし口うるさいけど皆のことを考えるいい奴だよな…って気づいていとしくなった。
そしてナランチャ。当時も好きだったけど、いま見てみるともうめちゃくちゃかわいいし、かっこいいし、こんなにも魅力的なキャラだったのか!?っていう。好きなキャラ変わるどころか圧倒的No.1に躍り出てしまった。アニメでもすごくナランチャに力入ってないですか?VS.ホルマジオ戦すごかったよね。戦いのクライマックス~終結の演出が音楽も映像も声優さんの演技もすべて完璧だった。あれは神回。これからも見せ場が多いし楽しみですね!
そしてブチャラティブチャラティは好きなんだけど難しい。正義の人としてとてもわかりやすいようで、人によって解釈が変わるキャラでもある。アニメを見ていても、オリジナル台詞はブチャラティらしくないなと思ってしまうんですよね。アバッキオ勧誘のときのセリフは、本来ブチャの台詞ではないし、フーゴ勧誘のときのもブチャラティらしくないと私は感じた。

原作を読み返してみて、関係性の構図として特に面白いと感じたのはトリッシュブチャラティナランチャ。この3人がピックアップされる部分は何度かあって、最初がプロシュート&ペッシ戦のあと。トリッシュブチャラティの間の険悪な雰囲気を感じ取って気にするナランチャトリッシュブチャラティに対して反発してるんだけど、その要因のひとつには彼のナランチャに対する態度もあるんですよね。ナランチャが老いて死にそうになっていたのに、あくまで護衛の任務を重視し、トリッシュの生存を優先してナランチャを助けようとしなかった。その任務を優先する論理はそのままトリッシュの質問に答えないことにも通じる(まぁ、本当は「任務を遂行する」「部下を守る」どちらもやるのがブチャラティなんだけど)。同じような構図はVS.チョコラータ戦でも出てきて、ナランチャを心配するより亀の確保を優先したブチャラティに腹をたてるトリッシュトリッシュは護衛チームのなかでもとりわけナランチャには親しみというか同情というか、そういうものを感じてるんですね。ナランチャトリッシュのことを心配してくれてたしね。でもナランチャトリッシュが自分のために怒ってくれてるのを喜ぶどころか、ブチャラティの言うことは当然だよ、と。そして、トリッシュブチャラティへの気持ちを言い当てるのだ。なぜか私この場面全然覚えてなかったし、なんで覚えてなかったかというとたぶん、なぜこの場面でナランチャがこんなこと言いだすのかトリッシュと一緒で全然わからなかったんだ。当時。
この場面からナランチャは女の子の気持ちに敏いと思う人もいるかもしれないけど、そうじゃないんだよな。本人も「女の子の気持ちはよくわからない」と言ってる。むしろナランチャは「ブチャラティ」を先に体験した先輩みたいな、そんな立ち位置。たぶんナランチャブチャラティと出会った当時は、ブチャラティがなぜそういうことを言うのか、そういう態度なのかということを一生懸命に考えたに違いない。トリッシュみたいに腹をたてたわけではないだろうけど。だからこそ今のトリッシュの気持ちがわかるんだと思う。そう考えるとナランチャトリッシュの関係は兄妹みたいでほほえましい。
この2つのエピソードの間に、サン・ジョルジョ・マジョーレ教会の波止場の場面がはさまっていると思うと、すごく味わい深いのですよ。
ナランチャトリッシュ、もっとこの二人の場面が見たかったな。

好きなもの、愛着のあるもの、影響を受けたもの

思い出すままにメモ。印象に残っているものを中心に。ところどころ記憶が薄い。

随時追加するかも。

 

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