緋綸子の雑記帳

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『虚無への供物』初読の感想メモをサルベージ

この感想メモを書いたのは2016年11月13日。たしか、もっと前に一度途中で挫折して、再挑戦で完読したんだった。いきなりネタバレありありなので注意してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく氷沼蒼司の美しさ、当主として氷沼家の悲劇を背負った苦しみを誰にも漏らさず常に菩薩のように皆に接している態度、柔らかい言葉遣い、すべてが好みで、最後までこのままでいてほしいと思った。犯罪とか世俗なことには関わらず、超然と清らかな悲劇の受難者のままでいてほしい、と。でもやはりそのように描かれているからには何かあるんだろうな、という予感も当然あって。たのむからその悪い予感はあたらないでくれ、犯人とか黒幕とかやめてくれって祈りながら読んだけど、やはり犯人だった。後から考えれば明らかにそうでしょうねって感じではあるけど。

 
これやっぱ蒼司さん犯人かなぁって思ったのは藍ちゃんが疑われだしたあたりね。その時点でまだかなりページ数残ってたし、黄司と八田さん、そして藍ちゃんが否定されれば残るは彼しかいない。それにしても途中から本文が牟礼田さんの小説に切り替わってるのには見事に騙された。八田さんや黄司のいかにも悪役な台詞や直接の犯行描写など、これまでの書き方とちがっていることに違和感は感じたけど。それにしても牟礼田さんは自分をかっこよく書きすぎだろう。そして蒼司さんの寝顔の描写…執拗に美しく描いている。

牟礼田もアリョーシャも蒼司さんに惹かれてるけど、結局蒼司さんに関しては牟礼田の一人勝ちだよね。婚約者ほっぽって蒼司と二人でパリだし。

 

蒼司さんも藍ちゃんも好きだし面白かったんだけど、熱狂的なファンも多いというこの作品、私はそこまでにはならなかった。『春琴抄』とか三島由紀夫の『豊饒の海 春の雪』もそうなんだけど、作者の強固な美意識に貫かれた作品、みたいなの私はあまり得意じゃないのかもしれない。これらの作品に激しく影響を受けたという話を目にするのだけど、私は何となくほぉーんって感じで読み終えてしまった。春琴抄に関しては、いつ?いつ目を刺すの!?とそわそわしながら読んだのがよくなかったと思われる(最後の方で刺します)。ちゃんと味わって読め。