緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

TV版エヴァンゲリオンを観ていて思ったこと

シン・エヴァンゲリオンは先々週に観に行って、感想も書こうとしたのだけど上手く書けない!と放り出したまま、ネトフリでTV版の23話「涙」24話「最後のシ者」を見たりしていた。どちらの話も、シンジが心がつながっているように思えた相手である二番目の綾波、そして渚カヲルを自分のために喪失することになるという話で、完成度がおそろしく高い。エヴァ内の科学的事象(ATフィールドとか、使徒が精神に侵蝕するとか)と登場人物の心がリンクして、科学的設定を正確に理解できているか微妙なところな私もすんなり理解できるほど見事にストーリーやセリフが構成されている。レイがなぜ自爆しなければならないのか、カヲルがなぜ消える運命を選ぶのか、論理と心が一体となってダイレクトに理解できるのだ。

 

特にカヲル君の出てくる24話をよく観ているのだけど、それで気づいたことがある(ここからは小ネタです)。アスカやシンジが戻ってこず家に一人でいるミサトのシーンがあって、そのときの独白から、彼女の家はわりと中心部から離れているので被害は及ばなかったということがわかる。つまりミサトさんは職場から少し離れたところに住んでいて、非常時にはスポーツカーぶっ飛ばして職場にかけつけて「遅くなってごめんなさい!」ってやってたんだな、ってことがここでわかる。

作戦部長がそれでいいの?とつっこむ向きもあるかもしれないけど、こういういつ呼び出されるかわからない忙しい立場の人ほど、家は少し離れたところがいいという話もあるよなーと思う。家が近いからということで気軽に呼び出されてしまったり、呼び出されなくても自分が気になって職場に行ってしまったり、行動範囲が家と職場の間だけになってしまうから、気分的に仕事から離れるために物理的にも少し距離をおいた方がいい、と(あくまで緊急時に対応できる範囲ではあるけど)。こういう社会人としてのネタに思い至れるようになったのも、自分が年をとったんだな…と感慨深い。まぁ、一緒に住むシンジやアスカは不便に思っているかもしれないけど。

それにしても、今後はいよいよミサトの家も危ないからペンペンを洞木さんちに預けるという話が出ていて戦慄した。どれだけ洞木家に世話をかける気なんだ。

あと、いま24話を脳内で振り返っていて気づいたんだけど、日向君とミサトがフィフス・チルドレンのことで上層部に探りをいれるのに情報のやりとりを外出してしたりしているけど、あれ、対外的にはデートをよそおってるんですね(ちゃんと考えたことがなかった)。どうせ諜報課とかには見張られてるんだろうし。片思いの人相手に実際はデートじゃないのにデートをよそおう状況に陥っている日向君よ。せつない。

自分に恋心をもっている相手に、体の関係に持ち込むことなく、気持ちを知ったうえで自分の目的のために利用させてもらうわよって表明しているミサトさんはかっこいい(というか、修羅っちゃってるからな…)。もちろん日向君がちゃんとした人だからこそできることだけど。自分の目的とはいえ、人類の命運かかってることだしね。

そう考えると24話は、シンジとカヲルがアニメ史に残る神話を繰り広げる一方で、日向君からミサトへの純度の高い片思いロマンスが展開してたんだな。たった30分の間に…。この男女、さらりとサードインパクトを止めるという人類の命運を背負う覚悟でいるし…。そんな彼らの思惑の及ばぬところで決着をつけるシンジとカヲル。壮大すぎる。

 

そうやって振り返ると24話、シンジもミサトもそれぞれに置かれた状況のなかでせいいっぱいやった訳ですよ。なのに何でラストの会話はあんな後味悪いんだ…。ある意味エヴァらしいけど。カヲルを手にかけてしまったことで、シンジは自分を責め続けるし、ミサトはそんなシンジの心を救うことはできない。あまりにも誠実すぎる作品なんだよ…。