緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

2018年5月の連休日記

5月3日

引っ越した私の家に両親が初めて来た。最寄り駅に着いたと連絡を受けて迎えに行ったのだけどこの日はものすごい強風で道を歩くのも大変だった。来るとわかっていたにもかかわらず家の中は雑然としていて「あいかわらずやね」と笑われた。両親が買ってきてくれた駅の弁当を食べた。とんかつ弁当と9マス弁当と味ご飯+肉の弁当の3種類。とんかつ弁当は父が食べ、9マス弁当を私と母で食べ、味ご飯と肉の弁当は私の夕飯となった。特に見たいテレビ番組もないので、録画しておいた斉木楠雄のΨ難のアニメをつけた。このアニメは3月末に1週間ほど実家に泊まった際にやはり私が見ていたので母も一応認識している。それで「この超能力の主人公は最終的にどうなるの?」と聞いてきたので、原作の終盤のあらすじを簡単に説明した。母は「ええっ!噴火を止めるの!?」と驚き、「やっぱり日本は噴火が怖いよねぇ。新燃岳も最近活発だし」とひとりうなずいていた。昼食後、私の新しい職場や今後のことなど話したあと、両親はもうそろそろ帰るかねという感じになった。私の家の場所や部屋の雰囲気を確認するのが目的だったので、目的達成したら暗くならないうち、天気の悪化しないうちに早めに帰りたいらしい。私も出不精で出かけてもすぐ家に帰りたくなるのでわかる。そんなこんなで、「次は気候のいい秋くらいに来るけど、それまでにはくつろげるきれいな家になってるのを楽しみにしてるわ」とプレッシャーをかけて母たちは帰っていった。一人になり掃除片付けをしようと一瞬思ったが結局せずにだらだら過ごした。


5月4日

家でごろごろだらだら。


5月5日

なかなか会えていなかった母方の祖母の家に行った。叔父と従姉が車で駅に迎えに来てくれた。私と弟で待ち合わせて行くはずが、私が弟に家を出たという連絡をするのが遅くなり、弟は後から来ることになった。叔父と従姉に二度駅に迎えにきてもらうことになり大変申し訳なかった。

祖母宅には祖母と叔母、叔父、従姉がいる。従兄もいるが彼は仕事で他県に引っ越しており、連休中も帰ってきていなかった。祖父は8年前に他界している。飼っていた黒い柴犬も1年ほど前に14歳で息をひきとっていた。私が来ていないあいだに祖母宅はリフォームされており、庭にあった昔の家(離れ)はなくなって庭が広くなっていた。
昼ごはんを食べてからいろいろと遊んだ。ドンジャラ、弟のバイオリン演奏(「君をのせて」「愛の挨拶」)、庭でのキャッチボール、従姉や祖母と五目並べなど。祖母は91歳になるが頭は非常にしっかりしていた。なにかの会話で弟が「まじで!?」と言ったら祖母が「まじよ」と返したのが面白かった。五目並べ、私はこのとき初めて遊んだのだが、祖母が非常に強いということを初めて知った。私VS従姉で従姉が勝ち、従姉VS祖母で祖母が勝ち、私VS祖母で決着が夕飯の時間までにつかずに引き分けとなった。私VS祖母は、私が先手だったのだが、祖母の石を防ぐことはできても自分から仕掛けることができなかった。四三を作りなさいとか、○○ちゃんいくらでも手があるがと言われるのだが、いかんせん初心者なのでどこに置けばうまい形になるのかわからない。それでなかなか決着がつかなかった。
弟は古い時計やカメラなどを集めたり修理したりするのが趣味なのだが、祖母宅は改修のときに古い物をたくさん処分していて、戦後まもないとき祖母に贈られた時計や祖父のオメガなども捨ててしまったとのことで残念がっていた。それでもいくつか祖父の使っていた時計が残っており、これは番号を見るに自分の生まれ年の時計だ…などと言って喜んでいた(わかりやすい4桁の西暦が書いてあるわけではなく、製品から推測する年代と番号からわかるらしい)。夕ご飯を食べ、弟のカメラで記念写真を撮りお開きとなった。私と弟は反対方向の電車でそれぞれの家路についた。自宅の最寄り駅に着いたのは夜の8時すぎで、駅の本屋で斉木楠雄のψ難の1~3巻と雑誌のGINZAを買い(真顔日記の人のエッセイが載っていると知って)、家に着いたのが9時前だった。9時からNHKの全ガンダム投票の特番をやっていたのでそれを見ながら漫画を読みつつ投票結果について弟とラインで感想を言い合い、そのままこの日は眠りについた。


5月6日

家でごろごろだらだら。


親が家に来るのも祖母の家に行くのも、自分はたいして何もしていないのに一応自分の中では活動したことになっていて、その次の日は無為に過ごしてしまった。自分の中ではわりと何かした方の連休である。今年は珍しく仕事がまったく入らなかったのがラッキーだった。祖母と会えていろいろ話せたのがとてもよかった。そういえば、弟は祖母宅で庭の木を切ったり一応役に立つことをしてた。本当に私は何もしていない…。

エヴァ 当時の盛り上がり

こんな話題を見かけたので↓

https://anond.hatelabo.jp/20180303064407

私はアニメ放映時はまったくエヴァのこと知らなくて、劇場版『シト新生』公開前に当時買い始めたファンロードでものすごい盛り上がってるの見て映画を観に行った人間なので、アニメ放映時や最終回のときのことはわからないけど、それに続く春・夏映画公開のときの熱いムードは覚えてるので、自分の所感も交えて記憶のままに書いてみる。

綾波レイのキャラデザのインパク

今の人が見ると他の作品とそう変わりないと感じるのかもしれないけど、とにかくレイちゃんの造形が新しかった。あのイラスト一枚で見たい!と思わされるものがあった。特徴的なシャギー、赤い瞳、無表情、制服のシワ、明朝体レタリングで縦に綾波レイの文字。この子は一体どんなキャラなのだろうと想像を掻き立てられるし、イラストとして描きたい欲がすごい。その後綾波に影響を受けたキャラが他作品にたくさん生まれたものです。

謎本

インターネットはあるにはあったのだろうけど、まだそんなに普及してないのでもっぱらアニメ情報誌などで盛り上がっていて、あと『エヴァンゲリオンの謎』的なタイトルの本がコーナーができるくらい量産されていた。よくくだらないものしかなかったと揶揄されるけど、私が買ったものはわりとちゃんとしてた。各話の過去の作品へのオマージュネタの解説とか、庵野監督が影響を受けたもののルーツとか作品にちりばめられた哲学、宗教要素をおおまかに解説してくれてたり、読みごたえがあった。

春エヴァシト新生

上映時間のほとんどが総集編で新作部分は 30分。新作はアスカ復活で盛り上がってきたところでぷつりと終わる。からの、わた~し~にかえ~りなさ~い~♪(この魂ルの入り方、神) この、新作たった30分、しかも中途で終わりというのが物議をかもした。

ちなみに私にとってはこれが初めて観たエヴァ。総集編っていってもこれまでのストーリーをわかりやすくしたような親切なものじゃないのですよ。なんていうか、映像と台詞の洪水。印象的なカットがやつぎばやに差し込まれ、かと思えば同じ台詞を何度も何度もリフレインしたりして、世界にひきこまれる。ちょっと怖い。庵野監督の造り出す映像の力がこれでもかと発揮されてる芸術的な総集編だった。初見でこれ見てもわかんないでしょって言われるけど、たしかにストーリーはわからないんだけど魂に伝わるものがあった。これを映画館で観れてよかったと思う。

夏エヴァNHKローカル特番。

いよいよ本当に完結となる夏公開の『Air/まごころを、君に』。地元では昭和館という古い映画館でだけ公開されてて、公開当初は行列ができてた。NHKローカル番組で社会現象としてのエヴァについての特番が作られて昭和館の長い行列が映し出されたりした。ナレーションが当時地元で人気のCROSS FMのDJ 北野順一だったのを覚えている。番組自体は、エヴァは大人も夢中にさせる深いアニメ…という感じでそれ以上つっこんだ内容ではなかったと思うけど。

・荒ぶる庵野さん

そんな感じで一般層にもエヴァというものが認知されて庵野さんをテレビでお見かけすることもあったけど、まぁひやひやしましたよね。どう考えてもお茶の間向きではない。あと雑誌とかのインタビューでも、ファンに攻撃的だったりとか。まぁこれは放映終了当時批判の声がすごくて(ほんとは批判だけじゃないだろうけど本人には批判のほうがより伝わりやすいのかも)まいってたり、あと今でこそ知られてるけど作品作りで精神的に使い果たしてしまうらしくそれで余計にそんな態度になったのかもしれない。とにかくそういう庵野監督の言動もファンからは注目されてた。

アダルトチルドレン

この用語当時すごく流行ってエヴァに結びつけて語られてた気がする。正確な定義とかよく知らないけど。

エヴァプリクラ

スペースワールドエヴァのプリクラがあったんで、シンジ君やカヲル君とネルフロゴ付きのプリクラを撮った思い出。

なんか全然まとまりがないけど思いだせる当時のエヴァにまつわるエピソードはこんな感じ。みんなとエヴァで盛り上がった記憶があるわけではないんですよね。いまみたいにネットが普及してるわけじゃないし、学校でもエヴァを見てるらしい人はいてもエヴァ仲間というわけではなかった。それでも私個人のなかではこんなに熱く盛り上がってたし、そういう人がたくさんいたんでしょう。そうやって謎本もできたし映画に行列もできて一般に可視化されて いったんじゃないかな。

密やかな部屋―きらめく昆虫標本―を見に行った

今日は美容院に髪切りにひさびさに天神へ。そのついでに、友人から勧められていたイムズの昆虫標本展を見に行った。タイトルの「密やかな部屋―きらめく昆虫標本―」でなんとなく小川洋子っぽさを感じていたら、今回の展示の空間構成は小川洋子の『薬指の標本』に着想を得たとのことだった。

おびただしい数の昆虫の標本がケースに整然と並べられて、その色彩と形状に見入ってしまう。入口からすぐは狭い通路の両側の赤い壁に標本ケースが展示されているのだけど、その奥の空間では木製の棚や台の上に標本ケースが置かれている。その木製の家具は移転前の九州大学の建物内から救済されたもので、今ではお目にかかれないような重厚なつくりの年代物。昆虫標本だけでなく、その空間も含めてまるで時を閉じこめて標本された部屋として味わってほしいという主旨らしい。この部屋は甲虫中心で、焦げ茶色の古い木製家具とカラフルに輝く甲虫の背が美しかった。チリオサムシとかニジダイコクコガネとかカナブンとか綺麗だった。写真は撮れる(触れるのは厳禁)のでたくさん撮ったのだけど、私的利用に限られるとのことで一応ここには載せない。
天神イムズで2018年3月11日までやってるそうなので、興味のある方はぜひ(2月20、21日は休館日らしいので注意)。

今日の日記(まだ昼だけど)

連日寒いので体調が最悪である。寒いとめんどくさがりに拍車がかかり本当に家で何もできなくなる。ゆうべも家に帰ってやろうと思ってたことすべてやらずにふとんにまるまり寝てしまった。

こういう寝方をすると翌朝もさわやかでなくて、なんて自分はだめなんだとネガティブになりながら起きれなくなるんだけど、今日は歯医者の予約をしていたのでかろうじて起きてぎりぎりで支度をした。寒いせいで最近肌の手入れも怠っており、全身の皮膚がかぴかぴに乾燥してたので、クリームをいらいらしながら塗る。なんかこういうのってボディケア用品のCMみたいに心穏やかに塗ることができない。なんで!こんな!ことを!と思いながら塗ってる。べたべたしたまま外出用の服着るのに抵抗あるのでいったん部屋着着てから外出用の服を着て歯医者に行った。

歯医者では噛み締め対策のナイトガードをもらった。ナイトガードの手入れに使うのは入れ歯用の洗浄剤と同じであることを知った。

歯医者のあと、お世話になってる研究室に向かった。いや、正確には向かおうとした。わたしは別のところで仕事しててこの研究室にはもう在籍してないけど、ここの先生はいまだアクセプトされてないわたしの論文のめんどうを見てくださってる。それでいま投稿してる雑誌がずっと査読中になってて返事が遅いので「そろそろ問い合わせしないといけませんね」と先日先生からメールが来たのであった。

きた!
「わたしの論文どうなったの!?早くしてよ!」(by菱沼さん)
である。正直、英語で書かなければならないというだけでほんとうにめんどくさい。英語が母国語でないってだいぶこの論文業界(?)でディスアドバンテージだと思う。あとわりと自分では好きだと思ってた英語に対して苦手意識が強くなってしまった。苦手意識というか、嫌なものと結び付いてしまい嫌なイメージがついたというか。

で、そういうメールを書くのくらい家でちゃっちゃとやればいいんだけど、前述のとおり家ではまったく何もする気が起きない性質なのと、家にはタブレットパソコンしかなくてちょっとたよりない(書いてる途中で誤送信とかしたらこわい。タッチパネルこわい)ので研究室でメール書こうと思って向かってたのだ(あ、自分のPC置いてるし机もある。ほんと何でいるのかわからないけどいる菱沼さん(就職後)みたいな状態。ありがたいです)。

ところが、歯医者を出ると雨がそれなりの勢いで降っている。コンビニでビニール傘を買い、満を持して研究室に向かおうとすると、買ったばかりの傘(590円)が突風にあおられてさかさまになってしまった。くるりと反対を向いて風の力でビニール部分を元に戻したけど、骨の感じが怪しい。
……こんな強風に逆らってまで行くこともないかなっ!と思い現在カフェでまったりソフトクリームとコーヒーをいただきつつこの日記を書いている。