緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

嵐の生まれたとき

嵐のことは詳しくは知らないんだけど、同年代なのでなんとなく親しみがある。調べてみると相葉くんと同い年だった。彼らが活動しているのを見聞きすると、同年代で仕事をしている者として、彼らの仕事に対する姿勢を尊敬するし、自分も頑張ろうと思う。

 

高校の頃、ジャニーズ好きな女子グループがいたんだけど、体育祭の練習のときにその一人の女の子が「新しいグループがデビューするんだってよ!!」と運動場を駆けてきた。それを聞いたほかの女の子たちが色めき立って

「え、誰が誰が!?」

「〇〇君と、〇〇君とそれから…」

「へー、いいじゃんいいじゃん!」

みたいな感じで会話していた。暇してる私は横でその会話を聞くともなく聞いていた。そのときグループ名まで言っていたかは覚えてないけど、それが嵐だったのだ。

そんなに体育祭に力を入れているような学校でもなく、練習の合間のかったるい時間だったのだけど、一人の女子が号外のように新グループの情報をもたらした出来事は鮮烈に記憶に残っている。あれが嵐だったんだ。そしてあのときから彼らは活動してきたんだ、と思うと感慨深い。

ジョジョ5部アニメが毎週楽しみすぎる

ジョジョ5部「黄金の風」のアニメを毎週楽しみに見ている。これがあるからなんとか一週間やっていけている気がする。あんな濃厚なストーリーが毎週どんどこ進んでいくなんてぜいたくすぎる。(この先、原作のネタばれもあります)


原作は高校生の頃、連載終了後にコミックスで一気読みした。この時はジョジョってアニメ化とかしないタイプの作品だと思っていた。当時はわりとアニメ化するメジャーな傾向の作品とそうでない作品というのが分かれていた気がする。深夜アニメも今みたいに多くはなかったし。だからそれから10年以上たって、ジョジョがアニメ化すると聞いたときは驚いた。ちゃんと原作の面白さや凄さを再現できるのか疑問に思ってたけど、見てみたらものすごく力が入っていてファンの満足する仕上がりだった。でも、それでも5部までアニメ化されるかはわからないので、期待しすぎないようにしていた。5部は主人公のジョルノがディオの息子ということで一応他の部とつながりはあるのだけど、ストーリーが独立していて外伝のような趣があるからだ。
「5部までやるかねぇ」
「さぁ~、4部はファンが多いからやると思うんだけどね~」
などと弟と話していた。そんな、5部がファン少ないみたいな…。もちろん弟だって5部は好きなのだが、5部はなんとなくアニメ化が想像しにくい雰囲気があった。だってイタリアのギャングがひたすら戦ってる話だし。キャラの名前も、吉良吉影岸辺露伴ほど人口に膾炙していない気がするし。
そんなふうにずっと思っていたので、この2018~2019年、ジョジョ5部のアニメが放送されているということがいまだに信じがたい。もうすでに現実になっているというのに。

ものすごくはまっていたとはいえ、もう10年近く読み返していない気がするし、内容をけっこう忘れているのでアニメを新鮮に楽しめている。忘れっぽいのもいいこともあるんだな。それだけじゃなく、大人になって新たな視点で作品を味わえてもいる。高校生の頃は硬派というか、ストーリやバトルを味わうのがメインで、もちろんキャラの魅力も感じていたんだけど、今みたいに細かいところに萌えたりキャラの関係性を深く考察するなんてこともなかったから、大人になってみると、こんなに萌えどころあったんだなって新たな発見がある。高校生の頃の骨太な読み方もよい経験だったし、一作品で何度もおいしい。

高校の頃は、護衛チームのなかではナランチャブチャラティがわりと好きだった。大人になってから読み返すと好きなキャラ変わるかなーとか思ったんだけど、わりと全キャラに魅力を感じるようになった。ジョルノに対しては、最良策を見つけだす賢さや感情を表に出さない冷静さを主人公にしては親しみにくいように感じていたのだけど、いま読み返してみるとそうはいっても完全無欠ではなくところどころ感情がかいまみえるところがあり少年らしさを感じるところもあってかわいく思えるようになった。アバッキオは、本当に人がよい。しみじみとそう感じる。ミスタに関しては、私は語れるほどよく掴めていないのだけど、このチームにおけるミスタの立ち位置はよいよな、と思う。ブチャラティを慕うアバッキオフーゴナランチャとは一線を画していて、だからブチャラティもミスタの意見を重んじるし、本人もいうようにNo.2としての役割を十分担えると思う。フーゴは立場上、他のキャラに比べて描写が少ないのだけど、すごく働き者だし口うるさいけど皆のことを考えるいい奴だよな…って気づいていとしくなった。
そしてナランチャ。当時も好きだったけど、いま見てみるともうめちゃくちゃかわいいし、かっこいいし、こんなにも魅力的なキャラだったのか!?っていう。好きなキャラ変わるどころか圧倒的No.1に躍り出てしまった。アニメでもすごくナランチャに力入ってないですか?VS.ホルマジオ戦すごかったよね。戦いのクライマックス~終結の演出が音楽も映像も声優さんの演技もすべて完璧だった。あれは神回。これからも見せ場が多いし楽しみですね!
そしてブチャラティブチャラティは好きなんだけど難しい。正義の人としてとてもわかりやすいようで、人によって解釈が変わるキャラでもある。アニメを見ていても、オリジナル台詞はブチャラティらしくないなと思ってしまうんですよね。アバッキオ勧誘のときのセリフは、本来ブチャの台詞ではないし、フーゴ勧誘のときのもブチャラティらしくないと私は感じた。

原作を読み返してみて、関係性の構図として特に面白いと感じたのはトリッシュブチャラティナランチャ。この3人がピックアップされる部分は何度かあって、最初がプロシュート&ペッシ戦のあと。トリッシュブチャラティの間の険悪な雰囲気を感じ取って気にするナランチャトリッシュブチャラティに対して反発してるんだけど、その要因のひとつには彼のナランチャに対する態度もあるんですよね。ナランチャが老いて死にそうになっていたのに、あくまで護衛の任務を重視し、トリッシュの生存を優先してナランチャを助けようとしなかった。その任務を優先する論理はそのままトリッシュの質問に答えないことにも通じる(まぁ、本当は「任務を遂行する」「部下を守る」どちらもやるのがブチャラティなんだけど)。同じような構図はVS.チョコラータ戦でも出てきて、ナランチャを心配するより亀の確保を優先したブチャラティに腹をたてるトリッシュトリッシュは護衛チームのなかでもとりわけナランチャには親しみというか同情というか、そういうものを感じてるんですね。ナランチャトリッシュのことを心配してくれてたしね。でもナランチャトリッシュが自分のために怒ってくれてるのを喜ぶどころか、ブチャラティの言うことは当然だよ、と。そして、トリッシュブチャラティへの気持ちを言い当てるのだ。なぜか私この場面全然覚えてなかったし、なんで覚えてなかったかというとたぶん、なぜこの場面でナランチャがこんなこと言いだすのかトリッシュと一緒で全然わからなかったんだ。当時。
この場面からナランチャは女の子の気持ちに敏いと思う人もいるかもしれないけど、そうじゃないんだよな。本人も「女の子の気持ちはよくわからない」と言ってる。むしろナランチャは「ブチャラティ」を先に体験した先輩みたいな、そんな立ち位置。たぶんナランチャブチャラティと出会った当時は、ブチャラティがなぜそういうことを言うのか、そういう態度なのかということを一生懸命に考えたに違いない。トリッシュみたいに腹をたてたわけではないだろうけど。だからこそ今のトリッシュの気持ちがわかるんだと思う。そう考えるとナランチャトリッシュの関係は兄妹みたいでほほえましい。
この2つのエピソードの間に、サン・ジョルジョ・マジョーレ教会の波止場の場面がはさまっていると思うと、すごく味わい深いのですよ。
ナランチャトリッシュ、もっとこの二人の場面が見たかったな。

『虚無への供物』初読の感想メモをサルベージ

この感想メモを書いたのは2016年11月13日。たしか、もっと前に一度途中で挫折して、再挑戦で完読したんだった。いきなりネタバレありありなので注意してください。

 

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『えーえんとくちから』 (笹井宏之)

4月から笹井宏之さんの出身の県に住んでいる。駅の本屋には、穂村さんの歌集は置いていないけど、笹井さんの歌集は地元だから平積みされている。新刊のちくま文庫の『えーえんとくちから』も平積みされていたのを買ってきた。

途中まで読んだけど、どの歌も「いい」「好き」と思う。分かるって簡単に言ってはいけないのだろうけど、「その感じ分かる」って思ってしまう。私はどうしても短歌を深く読みこんだり、感じたことを言葉で表現することがあまりできなくて、直感的に「いい」「好き」と思うだけだ。ただ、ひとつひとつをゆっくり味わっておいしく読んでいる。

 

文庫で20ページ目の

 

からだにはいのちがひとつ入ってて水と食事を求めたりする

 

からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ

 

しっとりとつめたいまくらにんげんにうまれたことがあったのだろう

 

の3首は、読んでいて病室がイメージとして浮かんできた。勝手な私の思い込みかもしれないけれど、体や命を感じるときって具合が悪くてじっとしているときとか、そういうときだと思う。イメージとしての病室って、現実の病室とはまた別物だなと思う。なんか昔のドラマや映画で見たようなグレーがかった白の空間。明るいようで薄暗くて静か(実際の病室ってそんな静かじゃないと思う)。そんな光景が浮かんでくる。

 

どの歌もとてもよいので、こんな言葉をつむげることをうらやましく思ってしまう。「ゆでたまごの拷問器具」とかも、いつもあの道具を見るときに瞬間的に感じる自分の皮膚を切られるようなイメージをとてもうまく表現していて、くやしいほどだ。

 

作者は私と同じ年の生まれらしい。まだあまり詳しいことは知りたくなくて知らないのだけど、10年前になくなったらしい。今日が命日だそうだ。