緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

後朝の別れの歌いまむかし 古今和歌集と川本真琴

『うたの日』という短歌投稿サイト http://utanohi.everyday.jp/ で「後朝(きぬぎぬ)」というお題が出ていたので、そういえば何で後朝できぬぎぬと読むんだっけ?と思ってネットで調べていたら、こんな和歌に出会った。

 

しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき

古今和歌集 よみ人しらず)

 

一目見て、この歌面白いなと惹かれた。しののめ、ほがらほがら、きぬぎぬと音の反復する語が何度も出てくる。和歌というより現代短歌的な技法を感じた。「ほがらほがらと」という語を私は知らなくて、こんな単語があるのかと面白く思った。意味はほぼ想像どおりだし。この歌は『明け方、空がしだいに明るくなってくると(共寝をしていた二人が)それぞれの衣を着て別々になるのがせつない』というような意味だそう。

この時代、男女が互いの衣を重ねてかぶって寝ていたので、共寝の後の別れのことを「きぬぎぬの別れ」と言うのだそうだ。この歌自体がまさにそれをわかりやすく説明するものとなっている。

 

この歌は技法だけでなく内容も現代的というか、J-popの歌詞に通じるものを感じる。単なる「別れ」ではなく、一つになっていたものがばらばらの個体となってしまうことへの心もとなさ。わたしの大好きな川本真琴の『DNA』の歌詞を連想した。

 

明日起こることみんなふたりじゃいらんない  それぞれさ  バス停が見つかんないといいなってちょっとだけ思っていた

(『DNA』 川本真琴

 

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これは2番の初めの歌詞なのだけど、その直前の1番のサビでは「眩暈の裸(からだ)が痛い  ほどけない重なる指」と歌ってるので、この二人は共寝したのだ。その翌朝、一緒に家を出てきたけど別々のバイト先なりなんなりに行かないといけない。それをぐだぐだ説明することなく、「バス停が見つかんないといいな」と一言でずばっと表現するまこっちゃんの詞のセンスが大好きだ。省略することで逆に気持ちをぴたっと表現するの、短歌に通じるものを感じる。歌詞には文章タイプと詩タイプがあると思うのだけど、川本真琴の歌詞は詩だと思う。

あともう一つ、まこっちゃんの歌で「明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき」に通じる歌詞で思い出すのは『FRAGILE』の冒頭。

 

朝がぼくたちに降りそそぐ  別々の影に戻る

 

これなんて、ほがらほがらの歌とほぼ同じ情景を歌っている。そしてこの歌詞も表現が最強。

いろんな歌を知っていくほど、古今東西の歌がつながっていくのは楽しい。

 

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ラインハルト好きな私の『銀河英雄伝説』読後の感想

英伝小説の本編読み終わったとき思ったのは「ラインハルト最後までよく頑張ったよ!」というものでした。正直私はスター・ウォーズのアナキンみたいな闇落ちを恐れていたので。ヴェスターラントの件を端緒にこう、ずるずると。でも違った。キルヒアイスが彼の心に宿って導いてくれた。3巻の終わり、ペンダントが偶然目に入りミュラーを許したシーンで初めて、キルヒアイスを失ったあとのラインハルトの心の動きみたいなものが見えたんですよね。それまで彼が何を感じてるのかすらよくわからなかったから。だからあのシーンはすごく印象深い。

でもすべてが「キルヒアイスならこう言うはずだ」で決められるわけではなく、基本的には皇帝という立場は孤独なもので、何を決めるのも最終的には彼一人の責任だし、その決断や結果に対して思うところを共有してくれる人は誰もいない。キルヒアイスならそれができたんだろうけど。

ラインハルトの人生という観点では、キルヒ亡き後では5巻のヤンとの戦いがクライマックスだと思う。それが完全な決着を見ずに終わり、誘いをかけたヤンにはふられ、二度目の会見なるかと思いきやヤンが死に「キルヒアイスがいなくなったとき、もうこれで失うものはなにもないと思ったのに……」とラインハルトはつぶやく。作者の徹底ぶりがおそろしい。

キルヒアイスやヤンまで失ったあとは、さすがに寂しくなったのか部下と交流しようとする皇帝。ヒルダさんやエミール君がいてくれてよかった。孤独を感じてはいるけど閉じこもってはいないんですよね。不器用ながらも周囲と関わろうとしている。こういうところが好きです。というか、自分を本当に思ってくれそうな存在を見つけ出すのけっこう得意ですよね。敵が多いから余計、自分の心の味方を敏感に感じ取ってしまうのか。そう思われた側はお応えしなければと心から思ってしまうあたりはさすがラインハルトさま、と思う。

ロイエンタールに謀反を起こされ、地球教から命をおびやかされ、いろいろ危うくなってからは部下の命を心から惜しむし、ミッターマイヤーを戦友と呼び「死ぬなよ」とまで言うように。ここまでラインハルトが精神的に追い詰められるなんて思わなかったから、その必死さがつらいし愛しい。でも、部下に死んでほしくないなら戦いを控えればいいんですよ。戦えば誰か死ぬんだから。でもそれはできないんですよね。戦いに魅入られていて、戦いこそが彼の生きている意味なので。

そんなふうに彼は痛みや矛盾を抱えながらも、できうるかぎりのことをして精一杯最後まで生きてたので、不幸だったとは私は思わないんですよね。キルヒアイスと共にあった頃はもちろん素晴らしく輝いてたけど、いなくなったあとも彼の人生はまた別のいろどりを持ってるし、それを含めて彼の人生の軌跡がとても好きなので。

 

(以上、2017年7月の自分の感想をサルベージしたものです。)

2月8日は義勇さんの誕生日

このブログであんまり書いてないんですが、去年の5月に遅まきながら『鬼滅の刃』にハマりました。最後まで熱く、クライマックスがめちゃくちゃクライマックスしていた、すごい漫画でした。キャラクターでは義勇さんが一番好きです。

今日、2月8日は義勇さんの誕生日ということで、ツイッターで盛り上がってます。私も自分のアカウントで、23日前(中途半端…)からカウントダウンで義勇さんの好きな場面を文章で挙げてました。イラストは描けないので。記念としてこのブログにまとめておこうと思います。本当に単に時系列で好きな場面挙げているだけで芸がないですが…。

 

 

好きなセリフ「冨岡義勇に言われて来たと言え」(第1話)。ここだけ子供におつかいの口上覚えさせるような言い方で好きです。そのわりに「狭霧山の麓に住んでいる鱗滝左近次という老人を訪ねろ」の難度が高いですが。

 

鱗滝先生への手紙の文面(第3話)が好きです。とても折り目正しい文章でありながら先生を慕っている気持ちが滲みでている。「少年の方は貴方と同じく鼻が利くようです」のあたりとか。

 

水の呼吸の技、どれもそれぞれのよさがあるけど、やはり打ち潮が好きです。ぎゆうさんの打ち潮のエフェクトの美しさよ(第37話)。そして納刀するときの横顔がどこか幼げでよき。

 

伊之助と冨岡。この組合せ面白くて好き。なかなか見れない義勇さんを見せてくれてありがとう。叱るとき戯け者って言うんだな…。会話しながら当然のように紐取り出す義勇さんなんともいえない面白さがある。半半羽織というあだ名も…ありがとう伊之助。

 

「俺が来るまでよく堪えた 後は任せろ」この台詞、柱らしくて好きです。

『拾壱ノ型は義勇が編み出した義勇だけの技』『義勇の間合いに入った術は全て凪ぐ 無になる』(第42話)。解説がこの上なくかっこいい。みんな大好き、凪。

 

VSしのぶさん。張り詰めたぎりぎりの膠着状態であの体勢になってるの面白すぎる。「あれは確か二年前…」は珍しくちゃんと説明しようとしているので聞いたげて…。会議のときに比べて表情ゆたかなので、打ち解けレベルが比較的高いんだな…と思う。

 

読み返すほど味のある柱合会議。炭治郎・禰豆子を守る水柱。それ以外は中立か否定派で、なかでも実力行使派の風・蛇柱。最終戦での彼らを思うと、感慨深いものがある。そんで状況を冷静に見据えていよいよこれ以上はやばいというときに伊黒さんの腕つかむ義勇さん良き。

 

柱稽古しないという義勇さんと話にきた炭治郎。一瞬で冨岡さんから義勇さん呼びになる炭治郎強い。「入ります」を「帰ります」の聞き間違いと処理してびっくりする義勇可愛い。二人とも正攻法しかとらないし、その結果炭治郎が粘り勝ち。この状態で4日間一緒にいたと思うと面白すぎる。

 

錆兎といる笑顔の義勇(子供時代)。この1コマでこれが本来の義勇さんなのだと、私たちの知る義勇さんは錆兎を失ってからずっとこの笑顔も失ったままなのだと知る。あまりにも錆兎の存在が大きすぎる。単行本おまけページの二人が可愛くて辛い。

 

錆兎との大事な約束を忘れていたのは思い出すと悲しすぎて何もできなくなったから。たった1コマの、布団に突っ伏す義勇の絵の強さ。そして「未熟でごめん」という6文字に義勇さんの性格があまりにも現れていて。何よりも先に自分の未熟さを謝るの彼らしい。

 

風・水の柱稽古がこんなにたっぷり描かれて嬉しい。常に挑発してる実弥と無言無表情の義勇と対照的だけど、木枯らし颪と雫波紋突きで実力伯仲してるのめちゃくちゃかっこよい。炭治郎と実弥の口論に置いてけぼりでぽけっとしてる義勇が義勇らしい。

 

おはぎ事変。それまで口をはさめず「不死川はおはぎが好き」という情報に初めて反応する義勇。気を失った弟弟子に自分の羽織を枕にして目覚めるのを待つ義勇。炭治郎と義勇の会話、初めて義勇さんが日常会話的なものをしていてほっこりする。ずっと見ていたい。

 

無限城突入。さらりと炭治郎の着地手助けする義勇。水の呼吸コンビネーションで敵倒して決まったところで「どういう気持ちの顔これ」と謎の空気に包まれる二人。ラスボスの城をてちてちという擬音で歩く義勇。この二人の独特の空気が好きです。

 

猗窩座との戦闘で炭治郎の成長に心打たれる義勇。これ別に戦闘中に長々とぼーっとしてるわけではなく、それほど感動しているという漫画的表現だと思います。それほど炭治郎のことは出会った時から気にかけてたのだと思う。

 

痣発現。このときのモノローグが好きすぎる。「娯楽のように手合わせするのも好きではない」「けれども今己が圧倒される強者と久々に出会い」感情が昂ったわけではなく静かに発現する痣。紋様が美しい。VS猗窩座の戦闘の絵も美しいです。

 

猗窩座戦終盤。「炭治郎を殺したければまず俺を倒せ」 猗窩座に過去を思い出させたのは仲間を守るため立ちはだかる義勇だった。一方の炭治郎「勝つんだ 義勇さんと二人で」。凄いなこの二人…。

 

猗窩座戦後の炭治郎と自分の傷の処置に勤しむ義勇。あの…上半身裸出てきたの…びっくりしました。傷焼いてる場面は見せないけど、平然としてらっしゃる…。炭治郎とのやりとり、指示が的確でかっこよい。この二人が先輩後輩なの安心感しかない。

 

無惨戦。握力限界で刀取り落とす義勇。その瞬間無惨からの攻撃…を防いでくれたのは伊黒ー!そして悲鳴嶼さんも!悪態つきつつ新しい刀投げてくれる実弥。義勇の目に光が…まるで泣きそうな、見たことない表情…。この表情、心にくる。

 

伊黒や悲鳴嶼さんが一人で赫刀作ったのに対し、風柱と水柱二人で作ったの最高だな。柱稽古しといてよかったと義勇に対しては言わないけど腕力ほぼ互角なことに説得力がある(カナヲちゃんの解説でお墨付き)。そして地と空の背中合わせめちゃくちゃかっこいい。

 

千切れた腕。残りの手で刀を握り立ち上がる義勇。その刀を置き炭治郎の刀を後ろから共に握り赫くする。義勇の手が一回り大きい…。ずっと共に戦ってきたのに、最後に炭治郎が義勇の胸を頭突いて膨隆する無惨からかばう。この畳み掛ける展開何度読んでもすごい。

 

200話。炭治郎の名を呼び探す義勇と、止める隠。隠さんが義勇に炭治郎を見せまいと立ちはだかるの泣く。無惨に呑み込まれてなお刀を持ち戦い続けた姿のまま事切れた炭治郎。義勇の「俺はいつも守られてばかりだ」という台詞に、義勇さんだって炭治郎や皆を守ってきたと言いたいけど、それもきっと慰めにはならない。

 

200話のあの状態から一瞬で、鬼化した炭治郎から隠をかばう義勇。判断と気持ちの切り替えの早さ。これほどの判断ができるまでに一体どんな経験をしてきたのか…。的確な言葉と指示で、状況が善逸と伊之助に一瞬で伝わる(二人の表情が辛い)。自分に炭治郎の自我を取り戻せるのかと思う場面がせつない。

 

炭治郎が戻ったことにただ「はー」と息をつく義勇、あんなに最後まで力ふりしぼって戦ったのに控えめすぎてよき。最後の柱合会議、残った二人の柱。この二人がこんな自然に微笑みかわすとかもう。鱗滝先生といるときの自然体な義勇さんもよい。そして桜の木の下の義勇の微笑みの美しさといったら。

 

いろんな人と交流し穏やかな日常を送る義勇さんを見られて幸せです。本当にありがとう。ファンブックの、お団子持って笑顔とかならまだ想像つくけど、焼き鳥持って満面の笑顔とか予想外すぎて。かわいいが過ぎる。鰻重も温泉も堪能してほしい。

 

 

以上でした。義勇さん、お誕生日おめでとうございます。

ここに書いたの場面の半分以上まだアニメ化していませんが、これからアニメで見られると思うと楽しみです。特に炭治郎・義勇VS猗窩座戦はもうめちゃくちゃ楽しみ。

日記




埼玉の立てこもり事件で人質の医師の方が亡くなった。44歳。あまりにも若い。
記事を読んだら、訪問診療をおこなっている方で、コロナ流行下のときには自宅療養の患者さんの診察などもおこなっていたそう。連日、深夜まで診療をおこなっていた、と。

あまりにもいたましすぎて、胸が苦しくなる。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220128/k10013454201000.html