先日、太宰府に行ってきた。
太宰府にはこれまでにも何度か訪れたことがある。太宰府天満宮にお参りしたり、九州国立博物館ができてからは目当ての特別展を見た帰りに天満宮に寄ったりと、日帰りで行くのにちょうどいいところなのだ。
太宰府はかつて九州一の都であった地で、いまもその古都の雰囲気が残されているところが好きだ。とんでもなく栄えていたにちがいなくて、それでも時代それぞれの中央である大和や京の都からきた人からすれば馴染みのない土地であり(道真公とかあきらかな左遷人事だし)、そんな彼らを連想するためか、どこかもの悲しさがある。
今回は夏休みなので一泊旅行にしてみた。旅程はこんな感じ。
1日目:九州国立博物館
2日目:朝に太宰府天満宮にお参り(朝拝に初参加)→坂本八幡宮へ→坂本八幡宮から引き返す途中で大宰府政庁跡→戒壇院→観世音寺→天満宮の参道でおみやげを買う→帰路
坂本八幡宮は「令和」ゆかりの地として有名になった神社で、今回初めて行った。「令和」の出典は大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」という歌会の序文からなんだけど、その神社の場所は大伴旅人の邸宅の近くであったかもしれないということで、それ以上の直接的なかかわりがあるわけではないみたい。神社の創建自体は、大伴旅人よりだいぶ後の時代みたいだし。それでも古くからその土地にある神社だけあって、こじんまりとしながらも神気ただよう雰囲気の神社だった。「がらんさま」と呼ばれる、千と千尋の神隠しに出てくるような緑がかった石が立っていて、立派な木が天高くに伸び、その向こうに小さな石の鳥居、そして奥に社殿がある。
坂本八幡宮から太宰府天満宮に戻る方向に少し歩けば、大宰府政庁跡のだだっぴろい草原。子供の頃にもここは訪れたことがあるんだけど、この場所が私は大好きだ。柱の礎石が残ったものが、そのままぼつぼつと並んでいる。子供の頃は、この礎石に座って写真をとったような記憶がある。
散歩に来たらしい地元の人が木陰に集まったりしていた。このような広い土地が史跡として保存されているのは、すごいことだなと思う。
歩いていると、そこかしこに万葉の歌碑がある。大伴旅人の歌もいくつかあった。
やすみしし わが大君の 食国は 倭も此処も 同じとぞ思ふ
「大君が治める国は、中央の大和も、ここ大宰府の地も同じだと思っている」という遠の朝廷大宰府の長官としての気概が詠われている。
そうして歩いていると、こういう歌碑もあった。
世の中は 空しきものと 知る時し いよいよますます 悲しかりけり (大伴旅人)
あんなに張り切っていたのに、何か悲しいことがあったらしい。何があったんだ、旅人…。この歌碑に会ったあとは、「旅人がんばれよ旅人…」とつぶやきながら道々歩いていた。
あとから調べると、この地で妻が亡くなったときの歌らしい。それを知ってみると、何にもたとえようのない悲しみを詠んでいることが伝わってくる。
私は歴史についても古典文学についても知識としてさほど身についていなくて、細かいことはすぐに忘れてしまうのだけど、こうやって土地や物を通して当時の人々の営みに思いを馳せるのが好きなんだと思う。とても心地よい旅だった。