緋綸子の雑記帳

私が誰かのブログを読んで楽しむように、見知らぬ誰かが私の記事を読んでくれたら。

発表後の質疑応答の反省(備忘録)

今日の勉強会、それなりに答えを準備していた点について座長から質問をされたのに、妙にはしょって答えてしまい、あまり納得してもらえなかった。最初から丁寧に説明したほうが伝わったと思う。

あと、そこは指摘されるかもと思っていたくらい、座長の質問は妥当なものであったので、「ご指摘のとおりで」とか「私もそこについては考えたのですが」とか受ける言葉を言うべきだった。

基本的に皆の前で発表し終えるだけで頭がいっぱいになってしまい、質疑応答のときにふだんと同じレベルに頭が働いていない。知識がないのもあるけど、こういう場できちんと考えながら話せるようになりたい。

とりとめなく『鬼滅の刃』考 不死川とカナヲ

アニメ派の方はネタバレ注意です。

 

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 昨日、無限列車編の放送があって、また鬼滅熱が高まってしまった。そうでなくても鬼滅のことは普段から考えているが。

 柱稽古のエピソード、鬼滅では数少ない"戦闘ではないシーン"でそれぞれのキャラが深められてすごく好き。で、最近よく考えているのが、不死川とカナヲのこと。カナヲちゃんがしのぶさんからあの計画と覚悟を聞かされる直前、カナヲちゃんは「これから風柱様の稽古に行って参ります」って言ってるんだよね。てことは、しのぶ姉さんの覚悟を聞いたあとに不死川さんのところへ行ってあの地獄の稽古を受けているわけで。カナヲは自分が強くならなければと必死だったと思うんだよね。(こっから妄想)風柱が全員コテンパンに伸しても、カナヲはぼろぼろになりながら立ち上がったかもしれない。最終的に不死川が終了を宣言しても、「まだあなたに一撃入れてません」と食い下がったかもしれない。

 そして、それを見た不死川さんはどう思っただろう。不死川さんは、弟の玄弥をどんな手を使ってでも鬼殺隊をやめさせたかったわけで。カナヲに稽古つけつつ、胡蝶はこの妹に最終戦に参加することを許したんだな…という思いがよぎったりしたかな。『まぁそりゃそうか、継子にしてるくれぇだし。この娘は才覚があるから…生き残れるかもしれねェ』って。そんなこと思ってカナヲを鍛えながら、けど本当は不死川もわかっている。才覚あるなしなんて関係ない。カナヲは鬼殺のために姉とともに戦いたかったし、しのぶはその気持ちがわかって心配しながらも尊重した。一方で不死川は、たとえ玄弥に才覚があろうと決して鬼殺の道に進ませたくなかった。

 でも実際に15巻を読み直したらこんな妄想は吹き飛ぶくらい不死川さんの絶対玄弥やめさせるの圧と勢いが強すぎた。不死川さん、あれだけ優しい人なので何も感じないなんてことは絶対ないんだけど、物思いなんて悠長なものは心の奥底に沈殿させて表に現れるのは常に暴風のような行動のみという感じ。目潰しとか、手段が最短距離過ぎる。柱って多かれ少なかれそういうところあって、目的を達成するための行動第一だから自分の思いとか後回しで一見異常に見えるし、そのぶん奥底にしまっている感情が表に出たときのカタルシスがすごい。

 不死川とカナヲといえば、幼少期の家庭で暴力があったというのが共通している。とはいえ、不死川の母親は優しい人で、恭梧はめちゃくちゃ横暴な父親というイメージだけど、カナヲちゃんのところは現代だとニュースでたまに報道されるような、本当に信じられないくらいのむごさ。人間性が想像できない。そういう違いはあるけど、お互いの事情を知らなくても何となくそういう幼少の傷を持つ人同士って相手に自分と同じ匂いを感じ取るんじゃないかという気がする。

 最後に伊黒さんの鏑丸を不死川がカナヲに譲ったエピソードはとても好き。不死川さん、周りの人のことをちゃんと見ているんだなと思う。そして行動が的確ですごい。

 

生活しやすくなる「買ってよかった2022」ありがとうニトリ

今週のお題「買ってよかった2022」

 

・吸盤付き洗面所時計

 毎朝、身支度をしてバスに間に合うぎりぎりの時間に家を出るのだけど、洗面所に時計がないので困っていた。見やすい位置に時計を置けるスペースはないし、壁に穴をあけたりしたくないので壁掛け時計も却下。鏡やタイルに吸盤でくっつけられるタイプの時計とかないだろうか?と思ってネットで検索したら、ドンピシャのものがあった。ニトリよ、ありがとう。

 何の変哲もないデザインが気に入っているのだけど、あまりにも実用!って感じなので、遅刻しないように鏡に時計を貼ることにまでなってる自分、かわいそう…という気持ちで毎朝時計を眺めている。

 

www.nitori-net.jp

 

・ごはん保存容器

 これもとてもよかった。

 恥ずかしながらほとんど自炊をしていない。せめて夕食のご飯だけでも炊きたいと思っているが、朝に炊飯器をセットする余裕がない。家を出るのが6時45分頃で、起きるのが6時前後。世の中にはお弁当作りで5時半起きの人とかもいるだろうけど、私には無理だ。帰りは早くても19時で、そこからご飯を準備するのは空腹で待てない。けど、やはりコンビニ弁当やご飯パックじゃなく、炊飯器で炊いたご飯が食べたい。何かいい方法はないものかと悩んでいた。週末に米を炊いて冷凍するにしても、ラップで包んだご飯はなんだか味気ないし、温めてもいまいちだったりする。それでまたネットで検索して評判がよかったのがこのニトリのご飯保存容器だったので、買ってみた。

 軽く茶碗1杯分のご飯が入る。使い方の説明どおり、温かいうちに容器に移し、粗熱がとれてから蓋をして冷凍庫に入れる。レンジで温めるときれいに全体が温まっておいしく仕上がる。5個セットだったのも便利。

 

www.nitori-net.jp

 

 なかなか時間の余裕はなくても、少しでも自分の生活しやすいように考えて探していきたい。ドンピシャの商品があるとすごくうれしいし。

 

更級日記をこよなく愛する

今週のお題「最近おもしろかった本」

 角川ソフィア文庫の『更級日記』(原岡文子 訳注)をかばんに入れて通勤の乗り物などで読んでいたのだが、いつもぱら読みで同じ箇所を何度も読んだりしていて、なかなか読み終えられなかった。けれども先月やっと全部読み終えた。私は菅原孝標女に並々ならぬ敬愛の気持ちを抱いていて、今年の夏休みは彼女が参詣した石山寺を訪れたほどだ。

 なぜそんなに更級日記が好きなのか。それは、現代を生きる私たちが経験するのと同じような感情の動きが描かれているからだ。そして日常のエピソードが面白かったり、ほほえましかったりする。特に子供のころの話は現代でいう少女小説のような趣がある。ざっと書くと

・東国の田舎にいた子供のころ、大人たちの話題にあがる源氏物語などの物語をどうしても読みたかったが、手元に書物はない。小さい薬師仏を自分で作り、都へ行かせてくださいとお祈りしていたら、行けることになった。出立の日、薬師仏を置いていくのがひどく悲しかった。

・旅の途中で話に聞いた、竹芝の言い伝えという超萌えエピソードを書き残している。

・都に着き、引っ越したばかりで皆忙しそうだが母親に「物語を見せて見せて」と頼んだら、いくつか冊子をもらってきてくれたので、夢中で読み始める。

・東国で別れた乳母が亡くなったと聞き、また同じころ、大納言の姫君が亡くなった。手本としてもらっていた姫君の筆跡を見ては悲しんでいると、母親が元気づけようと物語を持ってきてくれた。源氏物語の若紫などを読むと、先が知りたくてたまらない。そんな折、親戚の叔母さんがなんと源氏物語を全巻セットでくれる。天にも昇る気持ちで夜も昼も読みふける。そんなとき、美しい僧が夢にでてきて「法華経を習え」と言ったが、気にも留めなかった。

・入り込んできた猫を、姉と二人でこっそり可愛がっていたら、姉の夢の中でその猫は大納言の姫君の生まれ変わりだと名乗る。猫を撫でながら「姫君がここにいらっしゃるのね。姫君のお父様にお伝えしたいわ」と話しかけると、猫は言葉を理解しているかのようにこちらを見つめ鳴く。

・ある夜、姉と語らっていると「わたしがゆくえもしれずどこかへ行ってしまったらどう思う?」と姉が言い出し、とまどう。

・火事で猫が亡くなり、その後、姉が亡くなる。家族や姉の乳母など近しい人と歌を詠み姉の死を悼む。

 

 子供時代は教科書に載る場面も多く、知っている人が多いかもしれない。親しい人々の死が続くのだけど、悲しい思いに沈みながらも不思議なできごとが起こっていてどこか幻想的だ。現実を生きながらも半分違う世界で生きていたような作者のお姉さんも気になる。

 

 成長してからの話も面白い。大人になってからは、二度の宮仕え、物詣で、家庭の事情、友人との文のやりとりなどの話が中心である。

 作者の宮仕えに対する親の反応は、仕事する娘に対する古い頭の親というのは昔も今もそんなに変わらないんだなと面白い。最初の宮仕えは「なんでわざわざそんなことするの」と親が反対してやめさせてしまうのである。また、遠くの寺に参詣するとき、親は心配性でこういう物詣でを全然させてくれなかったと愚痴を書いているのも、わかる…と共感してしまう。

 神仏への信仰は、作者にとっては物語の世界に没頭することの反対側に位置づけられていて、いわば私たちにとっての勉強、仕事のような"すべきこと"である。この"したいこと"と"すべきこと"の間にいて、『もっと若い頃から信仰の道へ邁進するべきであったのに』と後悔するような文章が何度もでてくる。

 そんな作者が思い立って初瀬詣でをするのだが、たまたまその日が大嘗会という天皇一代に一度しかない儀式が行われる日だったというエピソードがある。田舎の人だって見に来る見ものなのに、よりによってそんな日に参詣するなんて正気の沙汰じゃないと周囲から反対されるのだが、作者は意地になって初瀬への物詣でを敢行するのだった。こうやって妙なタイミングでやる気をだしてしまうこと、あるよね…と思いながら読んだ。大嘗会を見物しようという人々の流れに逆らって奇異に見られながら道を行く描写なども笑ってしまう。それだけの決意で詣でながら、途中の宇治の渡しで足止めをくらっているとき、『ここ、源氏物語に出てくる宇治じゃん。どんなとこか気になってた!』と興味深く見ている作者。こんなときでもやはり物語のことを考えてしまっている。

 作者は、一度宮仕えを親にやめさせられてからも宮家のほうから声がかかって再び出仕することになるので、女房としてもそれなりに周囲に馴染んで好かれていたのではないかと思う。友人との会話や文のやりとりについて書かれた場面も多いし。

 成人してからのエピソードでもっとも印象深いのは、才人である男性(名前はでてこないが解説によると源資通)との時雨の夜の語らいである。作者ともう一人女房がいるところにその人がたまたま訪れて、三人で語り合うのだが、彼は色ごとめいたことは言わず、落ち着いた様子で世間話などして、春と秋のどちらがよいかについて問いかける。もう一人の女房は秋をとったので、作者は春の夜に心をよせた歌を詠む。男性はその歌を繰り返し口ずさみ「それでは春の夜というものをあなたとの出逢いの思い出のよすがとしましょう」と言うと、もう一人の女房は「お二人とも春に心を寄せてしまわれたようですね。私だけが見ることになりましょうか、秋の夜の月は」という歌を詠む。男は面白がって、春秋の決着はつけず、人それぞれにその季節に心をよせる理由があるのだろうと言い、自分は伊勢神宮に勅使として行ったとき、旅先であることや神域であるという思い、そして特別なできごとから雪積もる冬の夜の月が忘れられないものとして心に残っていることを語る(当時、冬の夜の月は興ざめなものとされていた)。そして今夜のような暗い闇の時雨の夜もこれからは心にしみるものとなるだろうと結ぶ。

 こういう会話はそれぞれが深い教養と情趣を解する心をもっていないと成立しないと思うので、それこそ源氏物語の一場面のように素敵でうらやましいような気持ちになる。その後、作者と男性は一度短く言葉を交わす機会があったきりだったと書かれている。恋ではないかもしれないが、長い人生のなかのひとときの小さい奇跡のような出会いを特別な記憶として大事にしていて、このように書き残す気持ち、とてもよくわかる。

 

 全部読んでみてあらためて、この日記の冒頭をまず"物語というものの存在だけは知っていて、読みたくてたまらない自分"から書き始めたことに唸ってしまう。物語への渇望が自分の人生の原点なのだと、彼女は自覚している。菅原孝標女は、『夜の寝覚』『浜松中納言物語』などのいくつかの物語の作者だとされている。信仰ひとすじに励まず、物語のことを考えてふわふわしていた若い自分を後悔することはあっても、彼女は終生物語を愛し続けたのだと思う。この日記が千年後までこうやって残っていて私たちが読めるということがとてもうれしい。

 

 

 

Web拍手お返事 2021年12月~

<2021年12月17日のメッセージ>

"緋綸子さんオススメのご自身の記事、というのがとても興味深かったです。
ご自身の思い入れのある物って、読み手は読んでいても案外分からないですよね。

「職場の遊具」という記事もなんだか面白くて印象的です。

書き手と読み手、何が興味深いと思ってるのか分からない物ですね(^^)/"

 

  ありがとうございます!「職場の遊具」、おすすめ記事としては挙げませんでしたが、私も気に入っている記事だったので、そう言っていただけてうれしいです。あと、Web拍手上では、おそらく私からメッセージにレスはできないということも教えてくださってありがとうございました。

 

hirinzu.hatenablog.com

 

<2022年6月10日のメッセージ>

"北斎の角が無い龍の画像をついつい検索してしまいました。面白かったです!(^^)!"

 

  あれ、私も弟に言われて気づきましたw

 

hirinzu.hatenablog.com